『手紙』
父親の幼なじみであり、親友である横地さんが母親宛に葬儀の前、手紙をくださいました。
横地さん以外にもたまたまどこかであったとか、連絡をとっていたとか。とてもここ最近多かったようです。
信じられぬとも、父親本人が死期を感じていたことは間違いありません。
それは家族である自分たちも同様です。
また、後日、皆様への御礼もかねて、忘れぬうちにここ最近のことや説明が出来ればと思っています。
その前に何より、この手紙を残せればと思いました。
父親のことを本当によく分かっていただけていますし、僕が感じていることも的確に表現してくださっていました。
自分の知らない一面もあります。
なにより、これ以上に父親がどう生きようとしてきたかを表現しているものはないと感じ、勝手ながら掲載させていただければと思います。
奥田昭子さま
ご主人の訃報に接し、暗然としています。
十月の初めに、元気な声を聞いたばかりなので、とても信じられません。聞けば、二度目の入院寸前だったとか。真夏にも電話がありました。もえぎ色のネクタイとマフラーを贈ってくれ、力作の説明を丁寧にしてくれました。五月に、ほんとうに遅くなってしまいましたが、おばさんにようやくお線香をあげることができました。ところが、そのお礼が遅くなってしまったと!いつもの気遣いに、私は恐縮するばかりでした。
五月に久しぶりに顔をあわせ、それから二度も電話があり、その度ごとに、人生の区切りをつけようとする意気込みが伝わってきました。
市役所前で落ち合い、並んで橋を渡り、川面を走るそよ風をあびながら浅川の土手を歩いて家にむかいました。彼は自転車を押しながら、入院したこと、入院中、ご子息が代わって多摩美で講師を務めたこと、借金をかたづけたこと、自分の代で工場を潰さず、後に継げること・・・・そう話す彼は誇らしげでした。
背に西日がさし、高尾、景信、陣馬の山々を仰ぎ、一歩下がって彼の背をみて想い出しました。工場裏の小川で、朝日をあびながら染め物を晒していたおやじさんの姿です。雨の日も風の日も毎日毎日です、私はその脇を通って学校に通いました。仕事に立ち向かう凛とした姿は、子供ながら今も強く印象に残っています。「その領域に達したか?」との問に、彼の答えは「まだ、まだ」と!しかしご子息の話になると、職人の誇りと技を伝えられる喜びを隠しませんでした。よほど嬉しいのでしょう、大学生になって学ぶ染めと職人の子の違いを誇らしげに話してくれました。
帰りも、わざわざ二中のわきを通ってニッキの裏側まで送ってくれました。これが最後になりました。
彼が大切にしてきたこと、やりとげたこと、やろうとしていることを聞かせてくれました。もう会えないさびしさがこみ上げてきますが、今、不思議と穏やかで、落ち着いて彼の死と向き合っています。奥田君の人生に乾杯!よくやったと!!
残念ながら中国出張が重なり、葬儀に出席出来ません。日を改めてお参りさせてください。どうぞ御霊前に代わってお線香を上げて下さい。小学校4年生の転校以来、今日まで長い間よく面倒をみてくれました。特に長く八王子を離れている私に代わり、父母の世話までしてくれました。ありがとうございました。安らかにお休みください。心より冥福を祈ります。
平成二十二年十一月二十四日
横地 剛
拝
3 thoughts on “『手紙』”
初めてコメントさし上げます。
『手紙』にふれ、心打たれました。
本当にいい親孝行をされたと思いました。
ファッションのもの作りの環境がどんどん少なくなり危惧されているなかで
若い世代がこうして頑張っている姿を知り
明かりを見たような思いです。
またこれからも拝見させて頂きたいと思います。
コメントありがとうございます。
布の世界が厳しいと言われてもう何十年も経ちましたが、
現在、どこも本当の技術を持った職人が高齢化しており
さらに最近の景気の厳しさも重なり
ここ数年で多くの技術が途絶える現状に来ていると思います。
どこかが廃業して、横の繋がりがなくなれば生産出来ない現状もありますし、厳しさは増すと思います。
ただ、自分はだからこそ誰かが続けていかなければいけないと思っています。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。