WEBマガジン『マチ』掲載について
伍堂さんと渡邉さんという学生二人が先日立ち上げたWEBマガジンに掲載して頂きました。
そのほかの企業のインタビューなども載っています。よければ、ぜひ。
学生の頃から、ここまで志を持った活動をされていて本当に素敵だなと感じました。
出会いに心から感謝いたします。
自分の仕事への考えをまとめる機会にもなりました。
ただ、実はちょっと前の物なので、考えがすでに変わっている部分があったり。
※インタビュー部分のみ転載いたします。すべての掲載は上記のリンク先にあります。
と言うか、インタビューまでおいらったら長いっ。
Q多くの日本のアパレル工場がなくなってきていますが、その中で奥田さんが 残れている理由はありますか?
残れているかどうかと言うと、微妙です。 ただ運がよかっただけかも知れないし、運が悪かっただけかも知れない。 人との出会いに恵まれてきたといえばそうだし、 まあでも、やめないと思っているから、続けているだけかなとも思います。 やめようと思ったら、やめますから。 ただ、なくなっていく大切な人達の物も含めて、守れるものは出来るだけ守りたいという思いもあります。 子供の時に工場内外のいろいろな職人さんに大切にされた記憶が大きいかも知れません。
時代と共に技術というのは変わっていくし、必要性というのは変わっていく。 その中の、大きな流れと、小さな流れの中で、自分の立ち位置を見失わず、どうにかこうにか誰かに必要とされている限りは続けていけるかなと思います。
例えば、プリントの流れとしてはこれからインクジェットの時代になって行くのはすでに間違いがない。 シルクスクリーンが過去の物になるのを悲しむ人はいるけれど、歴史の流れを見ればいつの時代もそうやって技術って言うのは革新していく。 うちだって昔、風呂敷を染めている時代は、長板の上に型紙を置いて染めていたわけです。 うちは今はやらないですけど、そういう染めをしているところは今もあります。 どちらに進むか、残る者、進む人、その時必ず分岐する。 たぶん僕は、いずれインクジェットも導入するかも知れないけれど、シルクスクリーンの技術に留まる方向を本質的には選ぶと思います。 まあどうしてかというと、僕の工場のような弱小の工場では同一性の時代の中で、同一性を生み出すことをしても生き残れないだろうなと踏んでいるからです。 そもそも、自分の場合、同一性を生み出していく仕事に魅力を感じていないということもあります。 ここだから出来る事と言うのを生み出していくことが大切だと思っているんです。
Q今、お話にもでましたが、工場は注文されたらただ作るという現在の多くの アパレルでのシステムは奥田さんとしては嫌なのでしょうか?
嫌だなと言うより、それぞれの仕事のあり方がある。 逆に、その問題点について、切り込んで物を生み出せば、それは、だからこそ生み出せる強みになる。 仕組みや社会の問題点に、体が小さいからこそ出来る事がある。 それにちゃんと気付き、出来る事に、弱小であることのおもしろみがあると思います。
Q”いいもの”はデザイナーさんと、どのように作っていくものとお考えです か?
デザイナーとしっかりコミニュケーションを取ること。デザイナーの考えがどういう物か、根源から出来る限り、ちゃんと理解することですね。
工場の強みを聞かれることがあって、昔は、いろいろな技術を持っていることと思っていた。確かに、本当にいろいろうちは論理的な部分も含めて、癖の ある技術を持っている。 でも、それをデザイナーがどれ位望んでいるのかを分かっていなかった。 そう言うのは技術屋の独りよがりになりやすい。 あくまで、いつでも引き出せる引き出しの中にそんな物は仕舞っておけばいいんです。 見せびらかす物ではない。 大切なことは、どんな世界でも一緒で、相手の気持ちを理解することだし、ましてや、この仕事で一番大事なことは、デザイナーの願いを叶えることで、思って いたよりよくなったと喜んでくれたら、それがいいわけです。
大切なことは奥田染工場のカラーを打ち出すことではないんです。 例えば、新しいブランドから問い合わせがあった時、一番うれしいのはうちのカラーに合うとかではなくて、うちの取り扱っているブランドのカラーにはない な。 ということなんです。 そうしたら、あとは本気でそのブランドのことを気に入ることが出来たら、お互い成長出来るなと感じたら、そのブランドのために出来る発想を育てていく。 うちに関わったからこそ生まれるクオリティを生み出せたら最高だと考えます。 あれも出来るし、それも出来るし、そっちもかというのが理想です。 とにかく、そのブランドが潜在的に持っているものを引き出せるとしたら、それは自分のどういう姿勢なのかは考えます。 うちの顔が見えることではなく、自分が関わることでそのブランドのクオリティが一段階でも上がったとしたらそれが物作りに関わっていて最高のやりがいだと 思うんです。
Qでは、具体的にどんなデザイナーさんとお仕事をしたいでしょうか?
意識が高い人と仕事できることはすごく素敵なことです。 独りよがりではない意識の高さです。 意識が高ければ、それには負けたくないと自分も思わされます。 少なからず、そのためにした自分の努力は報われます。
思想があって、考えがあることはすごく重要だと思います。 コミニュケーションの能力があるとかないとかではなくて、考えがあるかですね。 ないことに付き合ってもつまらないですから。
また話が戻りますけど、意識が高ければ、理解しよう、学ぼうとも思ってくれます。 こちらが相手を理解することもそうですけど、 技術の特性を理解しようとしてくれることも、質の向上のためには確実に重要です。 お互い育てるには時間が掛かります。
だからうちの場合は必ず、現場に来て貰います。 書類の上や、パソコンの上でデザインした物がどんなによくても仕方ないんです。 空想でデザインされても、僕からすればそれはただの素人の作品です。 それぐらいでいいでしょというデザインが無自覚にも世の中には多すぎるんです。 よく理解もされないままされたデザインは本当に多い。 布の上でよいデザインでなければ仕方ないし、服になってよくなければ仕方ない。 それを言葉で言っても想像で理解するだけだからあまり意味がない。 見ること、感じること、理解することは、的確であるためには非常に重要な事だと思います。
また、出会いというなら、何より、魅力的な人達と出会って、魅力的なことが出来る事、そんな素敵な人達の影響を受けて自分が成長出来ることはこの仕事をしていて、とても幸せなことです。
Q ”魅力的”というのはどういうことでしょうか?
自分にとってつまらないこと、希望のないことはしないと言うことでもあるかな。 例えば、初めての問い合わせでまず、メールとかでもそうですけど、単価を聞いてくる所がある。 メールなんかだと、一斉送信して、一番単価の安いところと仕事しようとしているんだなとわかる。 正直そんな物作りに関わってもつまらないですよね。 うちの工場だから、やりたいと思ってくれたわけではなく、安ければいいと思っているわけだから。 こちらが強みとして打ち出していることと、相手が欲していることが合致しないのであればそれは幸せではないですよね。 こちらも相手の仕事に敬意を持ちたいし、相手もこちらの仕事に敬意を持ってくれる。 それがはじめに見えないところは絶対に受けないですね。 魅力的ではない仕事になることがよく分かるから。
逆に、作る必要のあることに関われること、誰かが喜んでくれることが見える物、そうして時代の色を変えていける物、そんなことがみんなで協力して出 来るとしたら、それって魅力的なことだなと思います。 消費されるだけのもの、というのもあまり興味がないです。 物作りをしていたら、やっぱり僕はどこかに誰かの記憶や感動を残していくべきだと思うんですよ。
Q先ほどおっしゃった、単価の仕事のダメなところはどこでしょうか?
もちろん単価を気にすることは大事なんだけど、 その他に大切なことはないのかってことですね。 その大切なことを僕としてはちゃんと共有して物作りしたいんです。 それがないならつまらないなと思います。 安いって言うのを最大の必要性とするなら、数と共に人件費が安く済む海外に出てやればいいと思うんですよ。 まあでも、それでさえ今の時代、プラスアルファの強みが必要なわけです。 国内で数を少なく生産すれば、当然、高い商品になります。 その商品の価値とはいったい何かということです。 そこに思想がないところの仕事をしても仕方ないですね。 一緒に物作りを成長させていくところに未来があるのだから、未来が見えなければ意味がありません。
もっと、現実的な数字の話をすればですね。 安いとは何か、それちゃんと考えていますかとなる。 例えば僕なら、はじめに単価を聞くぐらいなら、とにかくそれぞれ興味のある工場に仕事を頼んでみますね。 その出来上がりの結果や、出来上がるまでの経緯、実際の請求。 値段だけで仕事しようとするところの一番愚かなところは、どこに頼んでもコンビニで物を買うように同じ質になると信じている所なんですよ。 頭がちょっと悪いんじゃないかと思いますよ。 物作りしているのに、数字しか見てないとかあまりに考えがない。 一番値段が安いことが重要ではなくて、結果に対して一番コストパフォーマンスが高かったのはどれかが重要なんですよ。 同じ値段でも、丁寧にやってくれるところも、雑な感じに処理されるところもある。 どっちがコストパフォーマンスが高いかと言うことです。 僕だったら、自分の望みを一番叶えてくれるところを選びます。 高価格の商品を作る上ではましてや、それって一番重要だと信じているからです。 まあ当然、原価にも限界はありますが。
Qイメージとしてデザイナーさんが一番偉いという印象があるのですが、奥田さんの考えは違うという印象を受けます。
偉い人なんていないよ。いや、最後の決定権はデザイナーが持つべきですけどね。それだけでしょ。 人間としての付き合いをしなければ意味がないし。 もしそれ、本当に偉いから、偉そうだったら、その人、才能ないよ。 そんな人と関わるのは本当につまらない。 いやもう、実るほど頭の下がる稲穂かなって。 偉そうだなんて、間違いなく無能の証明だから、絶対仕事しないですよ。 どんなに目先でお金になっても、それはただのリスクです。 まあ、僕よく偉そうって言われるから、気をつけないとですけど…
Q偉ぶる人はつまらないと?
どんな状況でも、そこで働く人は一人の人間だし、心があるじゃないですか。 そんな中で、関わる一人一人、すべての人にちゃんと敬意を払えない人と仕事しようと僕は思わない。 人って、心で出来ているし、その心を大切にすることは、物作りの結果にちゃんと繋がるんですよ。 おばちゃんもおじちゃんもさ、いつでも100%で仕事していますよ。 まあ手を抜く部分も含めてね。 でも例えば、あいつ嫌いだなと思ったら、それが物に移るんです。 あの人好きだなと思ったら、やっぱり物に移るんです。
Qものを作る上で、やはり工場さんとデザイナーさんなど多くの人との信頼関 係は重要になってくるのですね。
ファッションって一人では絶対できない仕事ですよね。大勢の人が関わってやっと一個のものができるわけだから。商品の仕上がりとか、何か問題が起き た時の対応、とか、そういうところで一番重要になるのは関わってきた人との信頼関係だと思うんですよ。 鞭や目先の物で人を動かすなんてつまらない時代じゃもうない。人の心を動かせなかったらすごく無力だと思うんです。時間が掛かっても、その時間が掛かった 以上にその関係性は本当に強固になりますから。 デザイナーがみんなの心をひきつけていれば関わる人も進んで協力してくれる。 さっきも言ったように、気持ちのいい人と仕事するのと、嫌だなっていう人とするのでは、当然嫌な人との仕事もプロである以上100%で取り組むのだけど、 それが気持ちのよい相手だったら、150%の仕事をしてしまうのが人間ってものだと思うんです。 だから、人とのつながりはすごい重要だと思いますよ。 特に1人で完結しない世界では。 ひとりで出来る事はたかだか知れてますけど、大切な仲間が増えればそれは確かな前進力になるはずなんです。
ものを作っている以上、誰かの手に渡るという意識は持っていないといけないと思っています。 どうしても、製造の現場にいるとそれを忘れがちになるんです。 今日どれ位出来て、それがいくらになるかしか考えなくなっていたりする。 下手すればアフターファイブのことでも考えて作業しているかも知れない。 でもね、今やっているこの1枚1枚が誰かの手に渡って、大切にしてくれる人がいるんだという、その気持ちを絶対に忘れちゃ行けないと思うんですよ。 自分にとってたかだか数百円の工賃の物も、売り場に行けば何万円になります。 誰かがその思いを掛けて買ってくれる物だというのを忘れちゃいけない。 忘れがちだからこそ、すごい大事なことだと思います。 気持ちを失ったら駄目です。 そのとたんに物は顔を失うんです。 ただ、それをやると当然いつもうまく行く訳じゃないから、B品が出たり、完璧じゃない結果に心がその分傷つくんですけどね。 でも、傷つかなければ、向上もないですから。 感情はいつもなければ駄目です。
Q“買う人”と会話のなかにでましたが、デザイナーさんにとっても工場さんに とっても、まず第一に考えるのは買い手のことでしょうか?
商品を買ってくれる人は大事です。 僕にとってのお客さんはデザイナーだったりするわけですけど。 ただ、誰が一番大事だということはないです。 お客様は神様で、そのためならすべての人が犠牲になっても良いとか、 デザイナーは神様でとか、自分だけはとにかくとか、特定の誰かでは駄目なんですよ。 みんなが同じだけ大事なんです。デザイナーやそれぞれの工場や、販売員だって、関わるすべての人が大事なはずなんです。 自分だけとか、誰かだけと言う考え方じゃ駄目だと思うんですよ。 それに関わるすべての人が幸せじゃないと嘘だと思います。実際は難しいと思いますけど、そう思っていると言うことはすごく大事だと思います。 世の中をハッピーにするデザインだっていいながら、自分だけがハッピーでも仕方ないはずです。 誰かの犠牲の上の幸せっていうのは偽装の幸せにしかならないですから。
Qお互いに相手のことを考えていかなければ、 “いいしごと”は成り立たないのですね。
どんな仕事も関わる全員が得しなきゃダメなんですよ。じゃないと、それは搾取です。 搾取って言うのは一時的には大きく儲かりますけど続かないし育たない。狩り場を変えていくしかなくなる。 それに比べて、畑は育てなくてはいけない。土を育て、森を育て、水を育てる。 時間は掛かるけれど、それはいずれ強固な循環を生み出します。 急激に一時だけ豊かであることに溺れるぐらいなら、質素で坦々として永遠にそれが続くことを育てることに僕は美しさを感じます。
仕事の仕方は自分が決めればいいんです。どうしたいかは自分が決めればいい。 僕は砂漠に森を作ることを夢見る方が好きです。ましてや自分の置かれた立ち位置がある。 厳しい時代だと言うし、物を売るのは大変だと言います。でもね、豊かな森の中にいて豊かさを味わうって言うのは簡単だし、そんな過去が確かにあったとして も、僕はむしろ今の時代の方がいいと信じているんですよ。 ガチャ万と言われたような、一時期の過去の方が良かったという考えはありません。 厳しいところから、希望を見出していく方が、簡単に儲かってしまう状況より絶対にいつか大きな希望の本質を得られると思うんです。僕はその方が行動する意 味について確信を簡単に持てます。厳しければ厳しいほどに、人は本気にならざる終えないんです。 その本気は必ず、結果に結びつきます。
でも同時にそんなに厳しいのかなとも思います。 いい時代を引き摺って、誰かのせいにして自分が努力しないで、何かがどうにかしてくれると信じていたって何も変わらない。そんなぬるま湯の考えの人が厳し さについて何か言っても重みがないです。あの時代はよかったと言っても、楽できたからよかっただけなら、それはむしろ不幸でもあったと思います。
人と関わるというのは、相手のことを考えることですよね。 相手のことを考えるから、相手も自分の事を考えてくれるという循環が生まれる。 その中で、それが出来ない人はどこかで外されていくわけです。 まあ、良いか悪いかと言うより、集団の気持ちなんてそんなもんです。 でもずるさがないからこそ、厳しい状況に置かれている人もいます。 だから一概には言えないですけどね。
いろいろな考え方のコミュニティがあっていいと思います。 でも、自分の周囲の人達とやることは必ずこの先結果を出していけると信じています。 先頭の先っぽの小さな所を生み出すことに少しでも関われたらと思っています。
自分は本当にたくさんの人に助けて貰っています。 いろいろな人との素敵ないくつもの出会いのお陰で今があります。 自分が何をしたというわけではなくても、それでも信じて助けてくれる人達がいます。 感謝の気持ちこそ、当たり前になって忘れてしまう物だから、ちゃんと気付いていられるようにしたいです。 本当に小さな工場ですが、もっとちゃんといろいろ向き合って、いろいろな希望を生み出していける工場になれたらいいなと思っています。