織物の八王子

数年前の講演で、中国に行かれている人が言っていた。
中国の工場では日本のファッションの仕事はうるさくてお金も安いので嫌われるが、少しだけ残すという。
なぜそうするかというと、日本人は細かいからその要求に応えていると技術が上がる。だから少しだけ残す。
その上でヨーロッパの仕事をするのである。
日本の仕事はうるさい上に、お金も少ししかくれない。
ヨーロッパはうるさくないし、お金もしっかりくれる。
そうしたら誰だって、日本の仕事なんかするのは嫌だが、技術の上がる面があるからそこだけ残すのである。
先日のチョコレートと染色の話でも触れたが、そういう意味では、ある意味ちゃんと工場の中で両方のいいところを取っている。

逆に言うと、国内の中にも当然その要素はある、うるさくてお金にならない人の仕事なんて言うのは、もしうるさくなくて、お金をちゃんとくれる仕事が現れた時、間違いなく相手にされなくなる。
うるさくて、お金にならないというのは、一方的な権利の要求になるから当たり前である。
そんなことがわかっていなくて、やって貰える場所を失っていく人は有名無名問わず、確かにいるのは昔から変わらない。
そして加工屋がみるみる減っていく今に至ってはそれは非常に重要な事である。

それなら、どう自分の仕事をして貰うのか。
それには戦略がいる。ましてや、資本のない、個人レベルのブランドを立ち上げましたなんて言う人にとっては一番重要なことである。
松下幸之助は、「お金を出すのがいやだったら、頭を十ぺん下げる。そんなことはいやだと、お金も出さない、頭も下げないというのでは、成功しない」と言った。
相手に何を提示すべきかを考えられない人は、人を動かすことが出来ない。
何かをしよう、そのために多くの人に動いて貰わなければ行けない、それならどうしたら人が動いてくれるかぐらいは考えておくべきである。
そして本当に動いて貰うためには、嫌々ではなく喜びながら動いてくれたら、それが一番の成果を生むはずである。
それを考えるべきなのだ。あなたは買ってくれる人だけではなく、関わるすべての人に喜びを与えながら進むことが出来るのである。
関わる人達すべてを感動させることさえ出来るのだ。
そういう、デザイナーは確かにいる。
そういう人のデザインには嘘がない。デザインがその力を持って、現実の行為の中でも確かに実行されているからだ。
ハッピーなデザインだといいながら、周りの人さえハッピーに出来ていない嘘つきなんて言うのは意外と良くある話ではある。その言葉はあまりにも軽い。

地震のあった後、日本を支援したいから、日本独自の染めで作りたいから安くやってくれるところを紹介してくれと言う。それを外国で売って日本の支援としたいという。売り上げの一部を寄付するという。でも、ボランティアなのでどうにか安くやりたいという。
どうにか無理して安くやりたいと言う時点で、まったく日本の支援にはならないと言うことがわかっていない。
あれはただ、自分のデザインを綺麗事で売りたいだけだなと自分は感じた。
相手のことを思うなら、当たり前の物、相手が続けていける、生活していけるだけの物を提示するのが当たり前だからである。
儲けさせられたら一人前である。
ましてや作るための資本があるなら、はじめからそのお金を募金してしまえばいい。
自分は綺麗事を利用して、自分の為に行動する人が一番嫌いなのである。

日本の工場は、実際明日ご飯が食べられないほどに疲弊している。
それに更に甘えて、齧り付いてどうする。

先日、またみんなを連れて注染屋さんの見学に行った。
先日の台風で屋根が吹き飛んだという。
トタン屋根の一部が抜けて、工場には青空が差し込んでいる。
「みんなには直せって言われるんだけど、悔しいから絶対直さない」という。
「いつやめてもいいんだってんじゃなきゃ、やっていられない」
そこの工場は、早くに旦那さんが亡くなって、やめようとも思ったけど、続けている。
なんて話を聞いた気がするが、定かではない。
その工場に行くと熱意のある話をいつも話しを聞かせてくれる。
若い人も雇ってどうにか続けようとしている。
今の時代、技術者の高齢化の中にあって、技術の継承はもっとも切実な現実である。

ちょうど僕はいま浴衣をやっている。
何か注染の技術をちゃんと理解して作られた物を作りたい。
注染なんて言うと、例えば傷は出やすい技法だし、堅牢度の良くない染めもある。
それが注染であるが、それを分かっていない人は多い。
注染の知り合いは何人かいるから、同じような話を良く聞くことになる。
その価値はわからなくても文句を言うのが得意な人というのはいる。
欠点を消すことは長所を消す恐れがあると言うことに慎重でなければ行けない。
人が大切にしているものに口を出すなら、何事にも敬意というのは必要なのである。
だからプロ面の素人は嫌われる。
それなら、いま一番、染色堅牢度と取り扱いで嫌われている染料でも使おうかと僕は思っている。
それにはその味が確かにあるからである。その味を生かすことがテキスタイルデザインである。

堅牢度は悪いが、ただ取り扱いに注意すればいいだけである。
物を大切に、丁寧に扱うことは悪いことではない。
誰にも簡単にが、本当に大切な物をたくさん取りこぼしてきたのがいまの日本だと、僕はずっと思っている。
手間を掛ける、面倒を見る。それによって生まれる豊かさは極めて強固である。
それは消費ではなく、循環によって成り立つ豊かさだからである。
それをわびさびと言い、粋と言った。
日本人はいったい何を追いかけ続けていたのだろう。
いや、人というのは目先の欲に弱い生き物なのかも知れない。
千と千尋の神隠しの両親のように、日本人はいまみんな欲に溺れた豚なんだ。

浴衣と言えば、やはり注染である。
僕は浴衣をやりたいから、いくらぐらいで出来るかと聞いて、あまりに安いんでびっくりした。
職人さんの動きを見ている。時間でどれ位生産出来ているかを見ている。
これでも、社長のはしくれなので計算してみる。
それなら、屋根を直したくなんてならないかも知れない。

昔だったら、凄いロットあった仕事も数が減って、最低ロットさえも減って、加工賃は変わらない。それが現実である。
ましてや、おそらくうちがそうであるように、材料費は上がっているはずである。
うちなんかには比べられないぐらい、注染というのは材料を使う。
ロットの減少、細かい仕事の繰り返しでは、まったく仕上がりが進まない。
それは驚くほどに仕上がる量が変わるが同じ加工賃なら割に合うわけもない。

うちの工場も、10年以上前バブルがはじけて間もない頃、某有名ブランドのTシャツやトレーナーのプリントをやっていた。
20歳そこそこの僕はうちの仕事はなんて仕事なんだと思った。
5人で1日やって、光熱費も材料費も、場所代も入れて、5万円にしかならないのである。
借金だって返さなきゃ行けない。親父には長男として支えなければ行けないことも腐るほどあった。
そのころ、いま有名な某大手SPAが中国に出している仕事を、中国と同じ加工賃でやっている日本のプリント工場の話を聞いた。それでも工場を動かしていた方がマシだったのかも知れない。いま、その工場がどうなっているかを僕は知らない。

手ぬぐいがそれぐらいで売られていて、原価がそれぐらい、極めて商売として現実的かも知れないが、工場としてはまったく現実的ではない。
ましてや、B品も全部平気で返してくるところも多いようである。
染めなんか汚しているような物なんだから、ケチを付ければきりがない。

工場がなくなっていくというのはそう言うことである。

はっきりしていることは、なくなった後に騒いでももう遅いと言うことだけだ。
歯を食いしばりながら、それでも何か大切な物のために続けている技術者は非常に多い。
この世界ではみんな、自分自身が自分が最後の砦だと分かっているからである。

丹後ちりめんの産地である丹後市での自殺者数が全国的に見てもかなり多いという報道がされていたのはいつのことだったろうか。
夫婦でやっている機屋さんの月の給料がびっくりするぐらい安かった。
僕の知っている現実なんかより更に厳しい実態がそこにはある。
八王子だって、同業者で自殺した人を何人か知っている。当然そこには生命保険が掛かっている。

金儲けが商売なのだから、金儲けできないのは偉い商売じゃないと偉そうに言う人がいる。金を儲けられるほど偉くて、社会で成功している人だという。こういう人達のことを知っていると、僕はそういう人の話が本当に腹が立つ。
そういう人達は、本当の意味での社会的な役目や、もしかしたら、守らなければ行けない何かを持ったことのない人達かも知れない。

ましてや、人の一生に優劣を付けるなんて今時流行らない。
もしそれでも、優劣を付けるなら、つまらない価値基準で生きている人は役立たずである。
人の一生の重みをまったく分かっていない。

八王子の駅前には織物町の石像があったがもはやない、機屋さんはいっぱい減って、他の職種になっていった。土地を持っている人も多かったから不動産屋さんになった人も多い。
いま残るのは、なにがしかの理由でやめられなかった人達である。
その理由を僕は知らない。
戦後の繊維産業の好景気で、儲かった時代があり、起業した企業がたくさんあったというのも事実である。
関係のない話だが、数年前、引っ越さなければ行けなくなって庭にあったお稲荷さんを神社に頼んで、撤去しなければ行けなくなった。僕は昔は体が弱くてそれで建てられた物だ。
神社の話だと、バブル崩壊してすぐは、八王子の機屋さんにあったお稲荷さんを本当にたくさん撤去したと言っていた。

浴衣なら、和裁である。一着作るのに1日か2日掛かる。
洋裁だって変わらない。買いたたくことしかない人にはそれが分からない。
縫製を仲介して貰う為に、この前業者さんと話した。
そんな値段でその枚数やっていくらになるんだよ。どれも割に合わないんだから値切るどころかちゃんと払わなきゃだめだろという話になった。やはり、賃金が安ければ、次の担い手は現れない。安くやって貰えた、ラッキーだという奴はだからアホだと言いたいのだ。

お金は愛情と変わらない。
というと勘違いする人がいるかも知れない。
みんなで値切り合う世の中より、少しでも多く渡しあう世の中の方が豊かだと思う。
いや、それに相応しいだけでいいのである。
愛情や優しさと何も変わらない。
社会を豊かにするとはそういう精神の問題だろう。
なぜ、お金を払うのか。
少しでも、他人から豊かさを奪うためだと思うなら、値切ればいい。もしくは奪われすぎないためにと思うなら、やはり値切るべきだ。
ただ、人から何かを譲って貰えることに心から感謝をして払うんだと思ったら、値切るなんてくだらないことはない。自分が払いたいだけちゃんと払えばいいのである。
どちらが正しいとは言わない。状況によって変わるからである。
でも、どちらもあると言うことは忘れない方がいい。
値切ることばかりはやし立てられていて正しい事のように思って、人に感謝をして払うと言うことを忘れがちな世の中だからである。

奪い合う世の中より、与え合う世の中の方が豊かなのは明らかだろう。
文化的な成熟度というのはそういう物のことを言うのである。

一度、オリジナルの服を作るので、縫製屋さんに頼んだことがある。
すごく少ない量だったから、ただ迷惑を掛けに行ったのだ。
それでいくらぐらいだと聞いたら、昔だと1500円ぐらいだったけど、いまなら1000円ぐらいだなと話されていた。
正直言って、数も少ないし、知識のない人間にさんざん付き合ってくれて、いくら貰おうと割に合わないに違いない。自分も工場をやっているし、自分の親父がまさしく金にならないことの相手ばかり平気でする人だったから、それがよく分かる。
昔から、仕事がうまくて有名な縫製屋さんだった。いま、縮小されて、個人でやるばかりである。好きだから、やめないという感じである。
だから、僕の遊びに付き合ってくれたに違いない。
素敵な時間と知識をたくさんくれた。
くれたのはそれだけじゃなくて、余っているニットの生地あるからとその縫製用に高い生地まで無料でくれた。
1000円と言われて、ラッキーと思えたら、まるで苦労した両親への否定である。
だから、それなら、昔の相場で払うと言った。
それでもまだ、払い足りなかった気がする。
でも、僕はそういう姿勢は凄く大切だと信じている。

だから注染屋さんの値段を聞いた時僕は、思わずその2倍、いや5倍は払えると呑気なことを言ってしまった。さすがにちょっと言い過ぎたかも知れない。
いくらで売るんだそれ。
僕はいま、怒られそうで、相方に言えないでいる。
無責任にいい顔をしてしまうのは親父の血であるから、僕のせいではない。

相手にちゃんと多く払えよと、こういうことを言うと、私だって大変なんですと怒る人がいる。
自分がやりたいことをはじめようとしているんだろう。
それにいろいろな人を巻き込もうとしているんだろう。
それが嫌なら、100円shopで買い物をしていればいい。
それなら確実に、満足する物、出来上がった物を安く手に入れられるだろう。
自分も儲けなきゃ行けない。それは当たり前である。その先の話をしているのである。

自分の身の心配しかできない人はたいがい消えていく。
誰もそんな人のためには動かないからである。
残っても大した仕事にはならない。大した仕事になっても裏で悪い話がもっと広がるだけである。やはりなにがしかの形で続かなくなる。
ましてや、企画当事者に時々いるが、まるで当事者意識がなく、他人事になる人も多い。
自分が渦の中心であることを忘れたら、渦は回ることさえ出来ない。
今はこの世界は業者数もすごく少なくなっているから、昔のように渡り鳥のように、業者を変えていくには限界がある。
例えば八王子でも、減ったとはいえ、うちと同業者のプリント屋さんはかなりある。
それを渡っていくだけでも、かなり数が稼げそうだが、残念ながら、悪い噂というのは簡単に広がるからそうはいかない。
昔は善人過ぎると、飲み込まれて続けられなかった。いい人は確かにいなくなった。
自分は昔のことは知らない。ただ聞くだけである。
しかし今は、悪い人はやり続けることが出来ない。それは前述の通りである。
そういう意味では、善人であり、戦略家でなければ行けない。
今の時代を、オリジナルのブランドを立ち上げて飯を食べていくというのは、そういう意味では非常に難しい時代であるといっても過言ではない。
ただ、余計な物はない。簡単な物はない。
そういう意味ではただの消費ではない方向に向かういい時代かも知れない。
大変だというのは確かであるが、いつの時代もその時代なりに大変なものだし、
少なからず、今の時代を生きているのだから、過去と未来を語っても生きるのは今である。

先日、夜中に某ブランドから電話が鳴った。こんな時間に電話だなんて、何かおいらまたやっちゃったかな怒られるかなとビクビク思って、電話を取った。
なんてことはない電話だったが、夜だって言うのに騒がしい事務所。話し相手のその奥から、何か陽気に叫ぶ声が聞こえる。
良く聞こえないんで、後ろで何か言ってるの? と、心の中のビクビクを残しながら聞いたら、
「ひろくん、一緒に儲けようっっ!! って言ってます」と言う。
僕は親父のお陰で素敵な人達と仕事が出来ている。

なぜこの仕事を僕が続けているかと言われたら、親や祖父母や、その親や親が続けてきたことを僕がやめてしまったら、それで全部消えてしまうからである。
そこには積み重なったたくさんの想いがある。
子供の頃僕の遊び場だったあの場所。
あの場所は消えてしまうにはあまりに惜しい。
だからこうして続けていられることが、いくつかの代償があろうと、僕にとっては確かな豊かさなのである。

そしてこうして続けることが出来ているのは、掛け替えのない大切なたくさんの先人と仲間のお陰である。

 

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