本業はプリント屋である。
それ以上でもそれ以下でもない。
何かを勘違いしてはじめた可能性があるが、勘違いしてやるにはなかなか厳しい世界ではある。

当初一番の目的になったのは、いまの仕事の質を上げたいという思いにあった。
デザイナー達に、物作りの現場が分からなければいい物づくりにはならない。
とよくもまあ偉そうに言う。
その論理が正しいのであれば、自分もデザイナーの気持ちを理解できなければ、(自分の仕事が)いい仕事にならない。それに言っていることにもそれではまったく説得力がない。
素晴らしい意識を持ったデザイナーと出会い、そんなデザイナーの期待に最大限、応えていく。期待を裏切らない、それ以上の仕事がしたい。
出会えて良かったと喜んで貰える仕事を提供したい。
そんなクリエーションに関わっていきたい。
それなら、デザイナーが何に悩んで、何を思って物作りをしているのか、それを少しでも知らなければ行けないと思った。

というのが一番の動機である。
ただ最近その結果として、時に人に対して厳しくなっただけの様な気もするけど…
甘ったれた意識でやってんじゃねえよと。つまんねえんだよ。と。
いやあ、やはり偉そうなもんだ。身の程に合っていない。

実際、現場を分からないデザイナーの多さもさることながら、デザイナーの気持ちなどとはまったく無縁の加工屋というのも多い。
それぐらいの距離感で行われる物作りからはある程度の物しか生まれないと思う。
ただ、それでいい世界というのがあることを僕は否定はしない。
ただ自分の場合、ある程度の物を作っていたのでは存在価値を失う。
僕がそれではいけないのは、ただ、それだけのことだ。
それ以上に、面白いことに関わりたいという思いが強くあるけど。

しかし、そんな綺麗事の動機ばかりではなくて。
不純な動機もある。
こういう仕事というのは決定権は常に相手にある。
相手の顔を見て、どうして欲しいと考えているのかを汲んで、最良の提案をし、そして選択して頂く。
その環境を提供することが僕の仕事であり、選択するのは僕であるべきではない。自分のイメージではなく、相手のイメージを生かすことが仕事なのだ。
ただ、例えばすごく実験を繰り返した技法なんかであると、その技法にさんざん付き合っていたのもあって、こうやってこうやってこういうもんなんで、どうしましょうというよりも、自分の中にはこうしてこうすれば素敵な物になるという思いがあったりする。
もしくは、通常の技法であっても、本当はこうしてこうしたほうがいいのではないだろうかとか。もっとこうやればいいのにとか。
相手には任せる中で、そういった気持ちもまた段々溜まってくる。
溜まってくればどこかではき出したくなる。
だからはき出す場所を作った。
というのは不純な動機である。
なにがしかの世界を表現したいという、更に本業とはすこぶる無縁の不純な動機もあったりする…

しかしこういうことをやっているとつくづく勘違いしたら駄目だなと思う。
自分は工場主であるし、それが一番大事な仕事である。
それがひっくり返ってしまってはまったく意味がない。

だから趣味に違いない。
ただ、はじめた以上、後に引けない趣味ではある。
やる以上、それがどんな事であろうとも良い結果に結びつけたい。
その気持ちがなければそもそも何もはじめない。
だから実際はそれほどの活動ではないけれど、思っている以上にいいことやってるなと我ながら勝手に思っていたりもする。
資金はまったくないが、いろいろな人が協力してくれることは事実である。

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3 thoughts on “僕がブランドをはじめた理由 1/4 『本業』:ゆるゆるnotes

  1. マリコ より:

    興味深く読ませていただきました。何を作りだしたい、表現したいという欲求は決して不純なものではなくプリント技術そして可能性を知っている工場主だからこそ素晴らアイデアをお持ちなのだと思います。デザイナーとプリント工場、どちらが客どちらが上ではなく、職人同士対等なパートナーとしてプロジェクトを進めていける環境、そしてブランドが作られていければと思います。ふらりと立ち寄り読ませていただいたブログへの突然の書込みで失礼しました。

  2. hiro より:

    マリコさん
    有難いお言葉有り難うございますm(_ _)m
    血迷い、迷いつつ、何かが出来て行ければと思っています。
    何かの折、またどうぞよろしくお願いします(^^)/

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