1年に1度の、美味しいもの。
植物が友達だった“健全な”引きこもりだった僕が、自分の意志ではじめて東京から出た、飛行機という物を使って、たいしてふたりでは、話したことなかった高校時代の友人と旅に出た日。
男同士でなんだか温泉旅館に泊まって気まずさに殺されそうになった次の日、
怪しい、少し傾いたようにも見える安宿のバーのマスターと知り合って、変態で変人の Every Little Thing のいっくんそっくりの、そのマスターが、元ホンダのテストドライバーだったそのマスターが、この芸能人同級生なんだぜって自慢してきたそのうさんくさいマスターが、つまらないギャグの間で、エロトークの間の、為になりそうな人生訓のその隙間で、美味しい物を教えてくれて、日本酒って、美味しいんだって教えてくれた、その20代前半。
東京に帰ってきて、同じ日本酒どこに売ってるだろうと探したら、うちのお墓の近くの酒屋さんに見つけて、そこで出会ったのが之吟さんで、
美味しい日本酒をたくさん教えて貰えて、その奥に美味しい食材もたくさん隠し持っていて、その時はおっきな犬が2匹いて、今はイケメンのロビンくんがいて、
そんなこんなで、お墓参りのついでに、お酒を買うようになりました。うそです。お酒を買いに行くついでに、お墓参りをするようになりました。お墓参り行ってくると言って、お酒を買いに行くのです。お墓参りのついでに買ってきちゃったと言えば、何かに許される気がするのです。
先日、はじめて父親の七回忌のお墓参りのついでに、母と姉を連れて、お酒を買いに行きました。そっちが先なのははじめてでした。
そんな酒屋の之吟さんは、毎月イベントをやっていて、年の終わりは、忘年会があって、焼串さん(というお店)の美味しい料理とともに15、6種類の美味しいピックアップされた日本酒が呑み放題でという、そして値段が破格という会があって、10年前、僕は人生ではじめて、未経験の美味しいものの怒濤の攻めに、記憶を失いました。幸せだったという感覚だけ残して。
お酒で記憶を失ったのは、未来にも過去にも、その一度だけです。その予定です。
毎年、そこでだけ会う何人かの友人も出来ました。そのときだけで次に会うことのない方もいます。
そして、午後3時からはじまる会だから、2次会だって、この美味しい時間の名残惜しさにかられ、横に座った人と、どこかにゆくのです。中野の街に吸い込まれて行くのです。
年に一度だけ。
そんな之吟さんは今年で20周年だという。
いつもすでにスペシャルなのに、さらにスペシャルな料理が並びます。
写真はイノシシのバラ肉。日本酒を引き立てる料理達。
美味しいってすごい。
すごく、はかないのです。こんなに美味しかったんだ、という想いを留めることは出来ません。
どんなに幸せでも、どんなに美味しくても、ただその時だけなのです。その時だけの感覚なのです。
毎年、席に座り、お酒をふくみ、料理に箸をのばし、ああそうなんだ。こんなに美味しいんだ。こんなに幸せなんだ。そうなんだ。忘れてた。今日も来てよかった。焼串のオーナー天才過ぎる。どれだけ才能があるのだ。才能の無駄遣いだ。顔がいかつい。誰かに似ている。似ているけれど誰だか思い出せない。ああ、そろそろ1年が終わるや。
と、カウンターの一番奥の、いつもの席に座りながら、思うのです。
みんなに美味しいからと誘うと、わりとさらりと断られます。
こんなに美味しくて幸せになるのに、といっても伝えるのは難しい。
経験すれば、その味を忘れなければ、すべての用事を捨ててでも、僕は足を運ぶほど幸せだというのに。
価値を共有することって、本当に難しい。経験のない人にありのままの価値を伝えるのは本当に難しい。
いや、それにその幸せを人は時間とともに忘れるのです。経験していたって、同じ時間に戻るまで、こんなに幸せだったということを忘れるのです。
美味しいは儚い。
本当に美味しい物を口に含んだ時の、
ああ、おいしい。
という、ため息にも似た感覚が好きです。
そうして、その時だけの幸せが広がっていくのです。
なんだ、この文章。
美味しい物を教えてくれた人たちに、心よりを感謝を。
美味しいものを生み出す、日常の、愛に溢れた人たちに感謝を。
#之吟 #焼串