アーカイブ ‘ 2012年 6月

僕がブランドをはじめた理由4/4『素敵な場所がある』 :ゆるゆるnotes

染めると言うことに関して言えば、特に日本人が得意としている分野でもある。
平面性の着物にとって、その布の表面の持つ意味は、洋服が持つ意味とはひと味違う。
布そのものの表現を見せることが出来る。
染め布の表現で、オリジナルの布で、それをこの時代、環境において生かす分野、そう考えれば浴衣というある種、気軽でもある形式は自分たちにとって魅力的な媒体であった。
分野を問わず、布で出来るものをとにかく抽出して考えて、一番自分たちがやる価値を感じたのがそれだった。
日本人であるなら、日本人が昔から多分野で得意にしてきたその平面の表現、ましてや“布の世界で現代的に突き詰めるきっかけを作る事”が出来るとすれば、非常に価値のあることである。
本業を抱えている自分としては夏に毎回一度だけというのもいい。あまりにも拡大する様な物作りでは、それだけのものに僕は時間を費やせない。何度も言うが、僕にとっては本業の方が数億倍大切である。
そもそも、こんなブランドだなんだと言っていると、何やっているんだと、静かに親父に優しい顔で厳しいことをさらりと言われるに決まっている。

そうなんだ。
とにかく自分はすごい人達に囲まれている。
人に本当に恵まれている。
いい影響があるとするなら、それはもう素敵な人達に囲まれていることである。
とにかく贅沢なほど素敵なエネルギーをたくさん吸う機会に恵まれている。
自分なんかまったく何もない。
勘違いしてしまいたくない。何もないんだと言うことを忘れたくない。
5年前、10年前自分は何をしていたか。
何もない世界でもがいていた。たいしたことない日常の中でどうでもいい悩みが人より深かったことぐらい、そんな事に悩めるほどに僕には何もなかった。
ある人が優しさをくれて、ある人が厳しさをくれた。誰かが明日やらねば行けないことを与えてくれた。そしてある日、立つ場所を譲られた。舞台を作ったのは僕ではない。
ぐるぐる世界は回って、人がくれた物で、空っぽだった僕の内側は、あの日より新しい物の置き場所に困るぐらいにはなれた気がする。
ある人はそう言うのをお陰様と言うんだと教えてくれた。

人に偉そうに言える物なんて何一つ持っていないのに、さも偉いんだという顔をして、
人から教わっただけの物をさも自分が昔から知っていた様な顔をして、
偉そうに教える。
偉そうに見せているだけで、中味は相変わらず空っぽなままだ。
勇気を持って強がることを覚えたぐらいで、あの日と本当は何も変わっていない。

好きな道を選んで、やるべき物を野心と遊び心を持って進む日々は最高である。
沢山の素敵な仲間がいる。素敵な人達と過ごせる時間ほど貴重で掛け替えのない物はない。
本当にみんな素敵なんだ。そのお陰でいつだってその有り難さと感動でどうしようもないほどに心がふるえる。
生きていれば、やれることのひとつやふたつは出来るもんだ。
やるべきことやって、素敵な仲間がいて、楽しく日々を生きられたら、やはり最高だと思う。
ただ、大切なことを裏切らない様にと切に切に思う。
だから、道はきっとずっと遠いけど、ここにいてくれる素敵な人達の期待に応えられる様に、あの工場をもっともっと魅力的な場所にして行けたらなと思っている。
ここにどこにもない様な素敵な世界を作りたい。
必然性のある。誰かに必要とされる場所である様に。


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僕がブランドをはじめた理由3/4『ゆかたなわけ』 :ゆるゆるnotes

浴衣をはじめた理由は、簡単だ。
工場が取り扱っていない分野が良かった。
例えば、傘を作り出したら違う。
成功例を正しく真似して、金儲けを考えるなら、そんなつまらなくて愚かな時間はないと思うのだ。それならただうちに来るブランドが成功していってくれた方が断然いい。何より、そういうのはあまりに品がない。品がないことは嫌いである。ましてや仲間とは美味しくお酒を呑みたい。

だから、プリントが生きつつ、うちに来る誰もがやっていない種類のものがよかった。
そのころから一緒に物作りをしていた吉田は呉服屋の娘であるから、浴衣という分野をやる必然的価値も見出しやすかった。それぞれの強みが生きる分野がいい。
吉田とは、この浴衣をはじめる前から、高いドレスにデザインを提供したり、某ブランドに染めを提供したり、実験的なデザインを陰ながらずっと行っていた。
布で何をやるか、何年も考えた結果がそんなことだった。

自分としては吉田にもご実家のせっかく続けてきた物を、なにがしか形にして欲しいという、僕の勝手な想いもあった。せっかくの素敵な実家の仕事なのだ。両親が仕事をする背中を見て何かを学ぶことはけっして悪い事じゃない。僕の勝手な話だけど。
親の知恵を借りてに何かをするって素敵なことだと思うんだ。

当然、デザインとしてもやりがいがある。
売れなくなっていることも手伝って、世間的に似た様な浴衣ばかりになっている。
どこに行っても似た様な物ばかり。
それなら似ていない物が生まれる必然性はもはやないのか。

何か面白いことが出来るかも知れない。
それは奇をてらって無茶なことや下品なことをするということではない。
今のままでは面白くない、それならどうしたら面白くなるのかについて表現することにある。

それがあれば素晴らしいはずなのに、ないままにされている物に気付き、その魅力の本質を引き出し、実際の世界に生み出すこと。
時代性や環境に合わせより美しく表現していくこと、それがデザインであるなら、それは十分魅力的なことである。

何より、着物、日本人が着慣れてきたそれは確かに日本の女性をどんな衣服より素敵に見せる構造を持っている。
しかし町並みや生活習慣が変わっていく中で、その整合性は当時のままでないのは当たり前でもある。衣服の形状は、美しいとされる人の動作も変える。
例えば機能性を考えるなら、夏は当時よりずっと暑い。
問題点が多いから廃れていく。存在に対する整合性がないから廃れていく。
しかし一番はどんな分野であっても魅力的でない物は廃れると言うことについてである。
例えばサッカー人口が増えているのはなぜか。魅力的だからである。
魅力的であるというのは、良い循環を生み出し、その魅力を育てる。
浴衣を着てみれば分かるが、十分他にはない魅力的な側面を持っている。
それを何も生かさず放置しておくのではもったいない。それに僕は日本というこの土地が持っているエネルギーが大好きなんだ。失われていく物に敏感にならざる終えない。
必要がなければ消えてしまえばいいのかも知れない。
でも、新しい発見があるのに、ゴミ箱に捨ててしまうことは好きじゃない。

<4/4へ>


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僕がブランドをはじめた理由 2/4 『仲間』:ゆるゆるnotes

僕の周りの人達はどんどん結果を残して、成功の形を作っていく。
何をすると失敗し、何をすると成功するのか。
いろいろな背中を実際見ることが出来る。
ましてや、成功の背中は非常に貴重な背中である。
うちの工場はたいしたものでもないのにどうやら
ファッション座敷童的な物がおそらく住み着いているから、そういう背中を見る機会に恵まれる。
迷ったときは、こういう時は何々さんならどうするだろうと考える。
だいたいそれは適切で最善の答えである。

うちはここ数年、自分のブランドをはじめるという人が多く訪れる。
1年でやめてしまうブランドがどれぐらい多いかについて言う。
続けない人のために、自分たちも本当はその労力は投資したくない。
1年目など、お金が消えるだけで儲かるわけもない。
消えていくだけのお金を目の前に、ましてや期待ほど売れず、期待ほど見て貰えず、絶望する。
見ている限り、3年は必要だという話をする。それだって分からない。
予備知識で分かっていたって、実際は悔しい物である。
ましてや華やかな物を夢見ていただけなら、その白鳥は池に沈んでいくだけである。
そんなことを偉そうに言いながら、自分もその難しさを体験する。
有り難さは、そう他の人に言っている都合上、自分がすぐに投げ出せないことにある。
どんなこともはじめは儲からない、儲かる様にするには時間が必要だと言う自覚が少ない人は非常に多い。そんなことを口では偉そうに言うわけである。
逆に言えば、たかだかそれだけのことである。
待ち、育てる、という美学を、結果がすぐに手に入るこのサイクルの早い現代においては忘れがちな人は多い、
じっくり待ちながら、そこに工夫と知恵を与えていく。
育つというのは一日ごとでは目に見えない。
何ヶ月もして見比べてみてやっと気がつく物かも知れない。

ゆっくり育つ方が、丈夫に育つ。
無理して大きく育てると、突風ですぐに折れる。というのはまた別の話か。

関わる加工屋にとってもそういうブランドは、少ない数を高くやる加工屋以外は儲かりはしない。何か好きなことをはじめた、しかし誰も儲けさせてはいないと言うところからはじまる訳である。
数年後、もし他人を儲けさせた自分という物を心から喜べる自分にその時なれているとすれば、それは本質的に多くの他者を動かす力を持った人物が持つ特質だと強く感じる。

3年にはいろいろな意味が含まれている。
例えば1年目roomsのような総合展示会に出す。
バイヤーはすぐには手を出さない。
何年かそれを続けてみて、やっと声を掛けてくれる。
バイヤーにしたって、1年でやめてしまう様なブランドに声を掛けても時間の無駄というものだ。
続けているというのは十分ブランドとしての重みにも、信用にもなる。
ということを友人が教えてくれたりする。
デザイナーはデザイナーでそういう期間にノウハウの基盤を育てるわけだ。

子供の頃から僕は職人さんに囲まれて育った。
職人さんがどんな風に考えているか、うちに来るデザイナー達よりは十分分かっているつもりである。
それもまたさまざまな人が関わる物作りにおいて重要だと思った。
こうしてこうすれば、そうしてこうあって欲しいという。理想がある。
誰かを下に見る物作りなんかいやなんだ。
工場や職人を下に見るような人とは仕事をしたくない。
物を作るその繋がりのあり方にも僕は興味があった。
理想がある。それも自分が他の人に頼むという形で、試して見たかった。
その自分が思う最善の物作りの理想型を自分が実践してみたかった。
簡単なことである。
関わる様々な人が素敵な気持ちで関わってくれたら、どんなものより素敵な物作りに繋がっていくという信念である。
作り手の心や他者の心を疎かにして物作りをする人が本当に多いから。
それじゃ絶対にある壁を越えられない。
だってそうでしょ、誰もそんな人のためには本気で関わらないもの。
利己主義者の不器用だなんて言葉は免罪符にはならないよ。

数年前、僕はmintdesignsの八木さんがある講演会で言っていた。
何かの流れで、セントマーチンでなぜ首席を取れたのかについて語った言葉が忘れられない。
日本と違って、その評価は最後の作品ですべて決まる。
途中の評価というのはない。
学校生活のすべてが最後の卒制に凝縮される。
それは何かというと、学生生活の中で、どれだけ仲間を作れたかについて。
本当にいろいろな人が助けてくれた、困ったときに手を差し伸べてくれた、学生生活の中で大切な仲間を作れたから自分はそういう結果を得られたんだと。
そんな風なことを言っていた。
もっと、素敵に言っていた様な気がする。
後で、ひろくんずっと寝てたわよねと言われた。
寝てない。ほらちゃんと聞いている。
落書きしていたから、ちゃんと覚えていないけど。

<3/4へ>


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僕がブランドをはじめた理由 1/4 『本業』:ゆるゆるnotes

本業はプリント屋である。
それ以上でもそれ以下でもない。
何かを勘違いしてはじめた可能性があるが、勘違いしてやるにはなかなか厳しい世界ではある。

当初一番の目的になったのは、いまの仕事の質を上げたいという思いにあった。
デザイナー達に、物作りの現場が分からなければいい物づくりにはならない。
とよくもまあ偉そうに言う。
その論理が正しいのであれば、自分もデザイナーの気持ちを理解できなければ、(自分の仕事が)いい仕事にならない。それに言っていることにもそれではまったく説得力がない。
素晴らしい意識を持ったデザイナーと出会い、そんなデザイナーの期待に最大限、応えていく。期待を裏切らない、それ以上の仕事がしたい。
出会えて良かったと喜んで貰える仕事を提供したい。
そんなクリエーションに関わっていきたい。
それなら、デザイナーが何に悩んで、何を思って物作りをしているのか、それを少しでも知らなければ行けないと思った。

というのが一番の動機である。
ただ最近その結果として、時に人に対して厳しくなっただけの様な気もするけど…
甘ったれた意識でやってんじゃねえよと。つまんねえんだよ。と。
いやあ、やはり偉そうなもんだ。身の程に合っていない。

実際、現場を分からないデザイナーの多さもさることながら、デザイナーの気持ちなどとはまったく無縁の加工屋というのも多い。
それぐらいの距離感で行われる物作りからはある程度の物しか生まれないと思う。
ただ、それでいい世界というのがあることを僕は否定はしない。
ただ自分の場合、ある程度の物を作っていたのでは存在価値を失う。
僕がそれではいけないのは、ただ、それだけのことだ。
それ以上に、面白いことに関わりたいという思いが強くあるけど。

しかし、そんな綺麗事の動機ばかりではなくて。
不純な動機もある。
こういう仕事というのは決定権は常に相手にある。
相手の顔を見て、どうして欲しいと考えているのかを汲んで、最良の提案をし、そして選択して頂く。
その環境を提供することが僕の仕事であり、選択するのは僕であるべきではない。自分のイメージではなく、相手のイメージを生かすことが仕事なのだ。
ただ、例えばすごく実験を繰り返した技法なんかであると、その技法にさんざん付き合っていたのもあって、こうやってこうやってこういうもんなんで、どうしましょうというよりも、自分の中にはこうしてこうすれば素敵な物になるという思いがあったりする。
もしくは、通常の技法であっても、本当はこうしてこうしたほうがいいのではないだろうかとか。もっとこうやればいいのにとか。
相手には任せる中で、そういった気持ちもまた段々溜まってくる。
溜まってくればどこかではき出したくなる。
だからはき出す場所を作った。
というのは不純な動機である。
なにがしかの世界を表現したいという、更に本業とはすこぶる無縁の不純な動機もあったりする…

しかしこういうことをやっているとつくづく勘違いしたら駄目だなと思う。
自分は工場主であるし、それが一番大事な仕事である。
それがひっくり返ってしまってはまったく意味がない。

だから趣味に違いない。
ただ、はじめた以上、後に引けない趣味ではある。
やる以上、それがどんな事であろうとも良い結果に結びつけたい。
その気持ちがなければそもそも何もはじめない。
だから実際はそれほどの活動ではないけれど、思っている以上にいいことやってるなと我ながら勝手に思っていたりもする。
資金はまったくないが、いろいろな人が協力してくれることは事実である。

<2/4へ>


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