WEBマガジン『マチ』掲載について

伍堂さんと渡邉さんという学生二人が先日立ち上げたWEBマガジンに掲載して頂きました。
そのほかの企業のインタビューなども載っています。よければ、ぜひ。

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学生の頃から、ここまで志を持った活動をされていて本当に素敵だなと感じました。
出会いに心から感謝いたします。
自分の仕事への考えをまとめる機会にもなりました。
ただ、実はちょっと前の物なので、考えがすでに変わっている部分があったり。
※インタビュー部分のみ転載いたします。すべての掲載は上記のリンク先にあります。
と言うか、インタビューまでおいらったら長いっ。

Q多くの日本のアパレル工場がなくなってきていますが、その中で奥田さんが 残れている理由はありますか?

残れているかどうかと言うと、微妙です。 ただ運がよかっただけかも知れないし、運が悪かっただけかも知れない。 人との出会いに恵まれてきたといえばそうだし、 まあでも、やめないと思っているから、続けているだけかなとも思います。 やめようと思ったら、やめますから。 ただ、なくなっていく大切な人達の物も含めて、守れるものは出来るだけ守りたいという思いもあります。 子供の時に工場内外のいろいろな職人さんに大切にされた記憶が大きいかも知れません。

時代と共に技術というのは変わっていくし、必要性というのは変わっていく。 その中の、大きな流れと、小さな流れの中で、自分の立ち位置を見失わず、どうにかこうにか誰かに必要とされている限りは続けていけるかなと思います。

例えば、プリントの流れとしてはこれからインクジェットの時代になって行くのはすでに間違いがない。 シルクスクリーンが過去の物になるのを悲しむ人はいるけれど、歴史の流れを見ればいつの時代もそうやって技術って言うのは革新していく。 うちだって昔、風呂敷を染めている時代は、長板の上に型紙を置いて染めていたわけです。 うちは今はやらないですけど、そういう染めをしているところは今もあります。 どちらに進むか、残る者、進む人、その時必ず分岐する。 たぶん僕は、いずれインクジェットも導入するかも知れないけれど、シルクスクリーンの技術に留まる方向を本質的には選ぶと思います。 まあどうしてかというと、僕の工場のような弱小の工場では同一性の時代の中で、同一性を生み出すことをしても生き残れないだろうなと踏んでいるからです。 そもそも、自分の場合、同一性を生み出していく仕事に魅力を感じていないということもあります。 ここだから出来る事と言うのを生み出していくことが大切だと思っているんです。

Q今、お話にもでましたが、工場は注文されたらただ作るという現在の多くの アパレルでのシステムは奥田さんとしては嫌なのでしょうか?

嫌だなと言うより、それぞれの仕事のあり方がある。 逆に、その問題点について、切り込んで物を生み出せば、それは、だからこそ生み出せる強みになる。 仕組みや社会の問題点に、体が小さいからこそ出来る事がある。 それにちゃんと気付き、出来る事に、弱小であることのおもしろみがあると思います。

Q”いいもの”はデザイナーさんと、どのように作っていくものとお考えです か?

デザイナーとしっかりコミニュケーションを取ること。デザイナーの考えがどういう物か、根源から出来る限り、ちゃんと理解することですね。

工場の強みを聞かれることがあって、昔は、いろいろな技術を持っていることと思っていた。確かに、本当にいろいろうちは論理的な部分も含めて、癖の ある技術を持っている。 でも、それをデザイナーがどれ位望んでいるのかを分かっていなかった。 そう言うのは技術屋の独りよがりになりやすい。 あくまで、いつでも引き出せる引き出しの中にそんな物は仕舞っておけばいいんです。 見せびらかす物ではない。 大切なことは、どんな世界でも一緒で、相手の気持ちを理解することだし、ましてや、この仕事で一番大事なことは、デザイナーの願いを叶えることで、思って いたよりよくなったと喜んでくれたら、それがいいわけです。

大切なことは奥田染工場のカラーを打ち出すことではないんです。 例えば、新しいブランドから問い合わせがあった時、一番うれしいのはうちのカラーに合うとかではなくて、うちの取り扱っているブランドのカラーにはない な。 ということなんです。 そうしたら、あとは本気でそのブランドのことを気に入ることが出来たら、お互い成長出来るなと感じたら、そのブランドのために出来る発想を育てていく。 うちに関わったからこそ生まれるクオリティを生み出せたら最高だと考えます。 あれも出来るし、それも出来るし、そっちもかというのが理想です。 とにかく、そのブランドが潜在的に持っているものを引き出せるとしたら、それは自分のどういう姿勢なのかは考えます。 うちの顔が見えることではなく、自分が関わることでそのブランドのクオリティが一段階でも上がったとしたらそれが物作りに関わっていて最高のやりがいだと 思うんです。

Qでは、具体的にどんなデザイナーさんとお仕事をしたいでしょうか?

意識が高い人と仕事できることはすごく素敵なことです。 独りよがりではない意識の高さです。 意識が高ければ、それには負けたくないと自分も思わされます。 少なからず、そのためにした自分の努力は報われます。

思想があって、考えがあることはすごく重要だと思います。 コミニュケーションの能力があるとかないとかではなくて、考えがあるかですね。 ないことに付き合ってもつまらないですから。

また話が戻りますけど、意識が高ければ、理解しよう、学ぼうとも思ってくれます。 こちらが相手を理解することもそうですけど、 技術の特性を理解しようとしてくれることも、質の向上のためには確実に重要です。 お互い育てるには時間が掛かります。

だからうちの場合は必ず、現場に来て貰います。 書類の上や、パソコンの上でデザインした物がどんなによくても仕方ないんです。 空想でデザインされても、僕からすればそれはただの素人の作品です。 それぐらいでいいでしょというデザインが無自覚にも世の中には多すぎるんです。 よく理解もされないままされたデザインは本当に多い。 布の上でよいデザインでなければ仕方ないし、服になってよくなければ仕方ない。 それを言葉で言っても想像で理解するだけだからあまり意味がない。 見ること、感じること、理解することは、的確であるためには非常に重要な事だと思います。

また、出会いというなら、何より、魅力的な人達と出会って、魅力的なことが出来る事、そんな素敵な人達の影響を受けて自分が成長出来ることはこの仕事をしていて、とても幸せなことです。

Q ”魅力的”というのはどういうことでしょうか?

自分にとってつまらないこと、希望のないことはしないと言うことでもあるかな。 例えば、初めての問い合わせでまず、メールとかでもそうですけど、単価を聞いてくる所がある。 メールなんかだと、一斉送信して、一番単価の安いところと仕事しようとしているんだなとわかる。 正直そんな物作りに関わってもつまらないですよね。 うちの工場だから、やりたいと思ってくれたわけではなく、安ければいいと思っているわけだから。 こちらが強みとして打ち出していることと、相手が欲していることが合致しないのであればそれは幸せではないですよね。 こちらも相手の仕事に敬意を持ちたいし、相手もこちらの仕事に敬意を持ってくれる。 それがはじめに見えないところは絶対に受けないですね。 魅力的ではない仕事になることがよく分かるから。

逆に、作る必要のあることに関われること、誰かが喜んでくれることが見える物、そうして時代の色を変えていける物、そんなことがみんなで協力して出 来るとしたら、それって魅力的なことだなと思います。 消費されるだけのもの、というのもあまり興味がないです。 物作りをしていたら、やっぱり僕はどこかに誰かの記憶や感動を残していくべきだと思うんですよ。

Q先ほどおっしゃった、単価の仕事のダメなところはどこでしょうか?

もちろん単価を気にすることは大事なんだけど、 その他に大切なことはないのかってことですね。 その大切なことを僕としてはちゃんと共有して物作りしたいんです。 それがないならつまらないなと思います。 安いって言うのを最大の必要性とするなら、数と共に人件費が安く済む海外に出てやればいいと思うんですよ。 まあでも、それでさえ今の時代、プラスアルファの強みが必要なわけです。 国内で数を少なく生産すれば、当然、高い商品になります。 その商品の価値とはいったい何かということです。 そこに思想がないところの仕事をしても仕方ないですね。 一緒に物作りを成長させていくところに未来があるのだから、未来が見えなければ意味がありません。

もっと、現実的な数字の話をすればですね。 安いとは何か、それちゃんと考えていますかとなる。 例えば僕なら、はじめに単価を聞くぐらいなら、とにかくそれぞれ興味のある工場に仕事を頼んでみますね。 その出来上がりの結果や、出来上がるまでの経緯、実際の請求。 値段だけで仕事しようとするところの一番愚かなところは、どこに頼んでもコンビニで物を買うように同じ質になると信じている所なんですよ。 頭がちょっと悪いんじゃないかと思いますよ。 物作りしているのに、数字しか見てないとかあまりに考えがない。 一番値段が安いことが重要ではなくて、結果に対して一番コストパフォーマンスが高かったのはどれかが重要なんですよ。 同じ値段でも、丁寧にやってくれるところも、雑な感じに処理されるところもある。 どっちがコストパフォーマンスが高いかと言うことです。 僕だったら、自分の望みを一番叶えてくれるところを選びます。 高価格の商品を作る上ではましてや、それって一番重要だと信じているからです。 まあ当然、原価にも限界はありますが。

Qイメージとしてデザイナーさんが一番偉いという印象があるのですが、奥田さんの考えは違うという印象を受けます。

偉い人なんていないよ。いや、最後の決定権はデザイナーが持つべきですけどね。それだけでしょ。 人間としての付き合いをしなければ意味がないし。 もしそれ、本当に偉いから、偉そうだったら、その人、才能ないよ。 そんな人と関わるのは本当につまらない。 いやもう、実るほど頭の下がる稲穂かなって。 偉そうだなんて、間違いなく無能の証明だから、絶対仕事しないですよ。 どんなに目先でお金になっても、それはただのリスクです。 まあ、僕よく偉そうって言われるから、気をつけないとですけど…

Q偉ぶる人はつまらないと?

どんな状況でも、そこで働く人は一人の人間だし、心があるじゃないですか。 そんな中で、関わる一人一人、すべての人にちゃんと敬意を払えない人と仕事しようと僕は思わない。 人って、心で出来ているし、その心を大切にすることは、物作りの結果にちゃんと繋がるんですよ。 おばちゃんもおじちゃんもさ、いつでも100%で仕事していますよ。 まあ手を抜く部分も含めてね。 でも例えば、あいつ嫌いだなと思ったら、それが物に移るんです。 あの人好きだなと思ったら、やっぱり物に移るんです。

Qものを作る上で、やはり工場さんとデザイナーさんなど多くの人との信頼関 係は重要になってくるのですね。

ファッションって一人では絶対できない仕事ですよね。大勢の人が関わってやっと一個のものができるわけだから。商品の仕上がりとか、何か問題が起き た時の対応、とか、そういうところで一番重要になるのは関わってきた人との信頼関係だと思うんですよ。 鞭や目先の物で人を動かすなんてつまらない時代じゃもうない。人の心を動かせなかったらすごく無力だと思うんです。時間が掛かっても、その時間が掛かった 以上にその関係性は本当に強固になりますから。 デザイナーがみんなの心をひきつけていれば関わる人も進んで協力してくれる。 さっきも言ったように、気持ちのいい人と仕事するのと、嫌だなっていう人とするのでは、当然嫌な人との仕事もプロである以上100%で取り組むのだけど、 それが気持ちのよい相手だったら、150%の仕事をしてしまうのが人間ってものだと思うんです。 だから、人とのつながりはすごい重要だと思いますよ。 特に1人で完結しない世界では。 ひとりで出来る事はたかだか知れてますけど、大切な仲間が増えればそれは確かな前進力になるはずなんです。

ものを作っている以上、誰かの手に渡るという意識は持っていないといけないと思っています。 どうしても、製造の現場にいるとそれを忘れがちになるんです。 今日どれ位出来て、それがいくらになるかしか考えなくなっていたりする。 下手すればアフターファイブのことでも考えて作業しているかも知れない。 でもね、今やっているこの1枚1枚が誰かの手に渡って、大切にしてくれる人がいるんだという、その気持ちを絶対に忘れちゃ行けないと思うんですよ。 自分にとってたかだか数百円の工賃の物も、売り場に行けば何万円になります。 誰かがその思いを掛けて買ってくれる物だというのを忘れちゃいけない。 忘れがちだからこそ、すごい大事なことだと思います。 気持ちを失ったら駄目です。 そのとたんに物は顔を失うんです。 ただ、それをやると当然いつもうまく行く訳じゃないから、B品が出たり、完璧じゃない結果に心がその分傷つくんですけどね。 でも、傷つかなければ、向上もないですから。 感情はいつもなければ駄目です。

Q“買う人”と会話のなかにでましたが、デザイナーさんにとっても工場さんに とっても、まず第一に考えるのは買い手のことでしょうか?

商品を買ってくれる人は大事です。 僕にとってのお客さんはデザイナーだったりするわけですけど。 ただ、誰が一番大事だということはないです。 お客様は神様で、そのためならすべての人が犠牲になっても良いとか、 デザイナーは神様でとか、自分だけはとにかくとか、特定の誰かでは駄目なんですよ。 みんなが同じだけ大事なんです。デザイナーやそれぞれの工場や、販売員だって、関わるすべての人が大事なはずなんです。 自分だけとか、誰かだけと言う考え方じゃ駄目だと思うんですよ。 それに関わるすべての人が幸せじゃないと嘘だと思います。実際は難しいと思いますけど、そう思っていると言うことはすごく大事だと思います。 世の中をハッピーにするデザインだっていいながら、自分だけがハッピーでも仕方ないはずです。 誰かの犠牲の上の幸せっていうのは偽装の幸せにしかならないですから。

Qお互いに相手のことを考えていかなければ、 “いいしごと”は成り立たないのですね。

どんな仕事も関わる全員が得しなきゃダメなんですよ。じゃないと、それは搾取です。 搾取って言うのは一時的には大きく儲かりますけど続かないし育たない。狩り場を変えていくしかなくなる。 それに比べて、畑は育てなくてはいけない。土を育て、森を育て、水を育てる。 時間は掛かるけれど、それはいずれ強固な循環を生み出します。 急激に一時だけ豊かであることに溺れるぐらいなら、質素で坦々として永遠にそれが続くことを育てることに僕は美しさを感じます。

仕事の仕方は自分が決めればいいんです。どうしたいかは自分が決めればいい。 僕は砂漠に森を作ることを夢見る方が好きです。ましてや自分の置かれた立ち位置がある。 厳しい時代だと言うし、物を売るのは大変だと言います。でもね、豊かな森の中にいて豊かさを味わうって言うのは簡単だし、そんな過去が確かにあったとして も、僕はむしろ今の時代の方がいいと信じているんですよ。 ガチャ万と言われたような、一時期の過去の方が良かったという考えはありません。 厳しいところから、希望を見出していく方が、簡単に儲かってしまう状況より絶対にいつか大きな希望の本質を得られると思うんです。僕はその方が行動する意 味について確信を簡単に持てます。厳しければ厳しいほどに、人は本気にならざる終えないんです。 その本気は必ず、結果に結びつきます。

でも同時にそんなに厳しいのかなとも思います。 いい時代を引き摺って、誰かのせいにして自分が努力しないで、何かがどうにかしてくれると信じていたって何も変わらない。そんなぬるま湯の考えの人が厳し さについて何か言っても重みがないです。あの時代はよかったと言っても、楽できたからよかっただけなら、それはむしろ不幸でもあったと思います。

人と関わるというのは、相手のことを考えることですよね。 相手のことを考えるから、相手も自分の事を考えてくれるという循環が生まれる。 その中で、それが出来ない人はどこかで外されていくわけです。 まあ、良いか悪いかと言うより、集団の気持ちなんてそんなもんです。 でもずるさがないからこそ、厳しい状況に置かれている人もいます。 だから一概には言えないですけどね。

いろいろな考え方のコミュニティがあっていいと思います。 でも、自分の周囲の人達とやることは必ずこの先結果を出していけると信じています。 先頭の先っぽの小さな所を生み出すことに少しでも関われたらと思っています。

自分は本当にたくさんの人に助けて貰っています。 いろいろな人との素敵ないくつもの出会いのお陰で今があります。 自分が何をしたというわけではなくても、それでも信じて助けてくれる人達がいます。 感謝の気持ちこそ、当たり前になって忘れてしまう物だから、ちゃんと気付いていられるようにしたいです。 本当に小さな工場ですが、もっとちゃんといろいろ向き合って、いろいろな希望を生み出していける工場になれたらいいなと思っています。

『そこには今も新しい発見がある』2011年4月1日寄稿文

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 子供の頃から、僕にとってそれは当たり前の風景だった。増築を繰り返した工場の中はひどく入り組んでいて、僕は、その暗闇のどこかに知らない世界への扉があると信じていた。
 至る所から蒸気が噴き出し、その工場を構成する柱の一本一本が好き放題に傾いている。至る所が錆びていて、至る所がひび割れている。誰も入らない部屋があり、埃にまみれたスイッチの用途はもう誰も知らない。
 脱水機は激しく地面ごと引きはがすように回る。あの頃から脱水機はいつか空に飛んでしまいそうだったけど、今も一生懸命、地面に張り付いて、水を弾いている。
 分散染料の独特の臭いが幼い頃の記憶を呼び起こす。僕は友達と工場に忍び込んでは段ボールの山にダイブした。捺染台に伝わる熱気が、癖のある職人さん達の熱気と混じり合う。蒸し器から噴き出される蒸気が、広いトタンの屋根のその先に広がっていく。
 染めた布にみんなでおがくずをかけていく。洗い場では複数の大人達が水遊びに興じている。父は毎年夏休みなると、僕のために洗い場の大きな水槽に魚を放ってくれた。
 1枚の布が染まっていく風景は当たり前の風景だった。それが当たり前ではないと知るのは随分後のことだ。

認可工場

 工場は1932年葛飾区立石より八王子に移転。それ以来、時代と共に様々な仕事に関わってきた。生まれる前は風呂敷をやっていたし、子供の頃はたくさんのネクタイやセーター、高校生の頃はTシャツだった。時代によって必要な仕事も変わる。
 数多くの有名、無名のデザイナーとも付き合ってきた。ただ、企業にとって厳しい側面もあり、繊維業界の衰退やバブルの崩壊の中で、そんなデザイナーたちとも関われないような時期も続いていた。

『ミントデザインズ』

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 ミントデザインズとの出会いは、工場にとってはちょうど変化の時期だったと思う。人を介して物作りをするのではなく、実際に自ら触れて物を作ることにより本当の発見と決定が出来る。
 実際に立ち会ってもらう。それがうちの提示する条件だ。工場には立ち入らせないという従来の考えではなく、非効率であっても的確な相互理解こそ重要だから。
 その頃から父にとっての仕事は、生活をするためではなく、後人に残すべきメッセージを残すためだった。だからこそ、ブランドを立ち上げたばかりの若い人を受け入れては一緒に仕事をするようになっていった。いろいろな工場に連れて歩いてもいた。
 ミントデザインズは職人に心から愛されている。それは彼らが誰よりも職人を大切にしてくれるからだ。彼らの素晴らしいクリエイションの根底には常に仲間を大切にする姿勢がある。
 後年、父はミントデザインズを称して「彼らはファミリーだから」そう嬉しそうに言っていた。去年10月の彼らの毎日ファッション大賞受賞はそんな父にとって最高のはなむけになったはずだ。
 ミントデザインズや多くの仲間との出会いによって僕は今、物作りの魅力そのものに関わることが出来ている。

『matohu』

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 僕が講演だとかで出かけるカバンの中には、実は本業のシルクスクリーンプリントで染めた物がほとんどない。父が昔やったイッセイミヤケのニットの特殊なぼかし染めだとか、変な手描きの染だとかばかり。ただ、それが基礎の知識や柔軟性を持った技術の基盤になっていると思う。
 蓄積されたそういった技術を生かさせてくれたのはmatohuだった。未熟だった僕に数多くのチャンスを与えてくれた。
 2011年が明けてすぐ、10回に及んだコレクション『慶長の美』の展示が行われた。そこに並べられた長着の1枚1枚、そのひとつひとつに確かな想いが蘇る。関わった1枚の布やそのアイデアがランウェイを歩いてくる。ショーの最後を飾る。寒い指先も滴り落ちる汗も、失敗も成功も。

『kawala』

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 去年の夏、僕らは富士山の頂上にいた。kawalaの2人は大きなテントを運んだ。特殊な染めによって、日光に当たると柄が浮き上がる。それを頂上で日の出と共に動画を撮る予定だった。日は出ず、激しい嵐で死ぬ思いをするなんて思っていなかった。そして愚かにも、みんな登る前から疲れすぎていた。
 自分が今、シルクスクリーンを刷ることが出来るようになったのは、彼らのお陰だ。僕はkawalaの生地を何度も何度も失敗した。僕がそう言うと、「いつ失敗したんだっけ」そう返してくれる。僕は色作りを担当していて、刷る職人というのは本来違う。でも、刷らしてくれた。そのお陰で今の自分がある。
 デザイナーである山本さんの過去は壮絶ですごい。そんな彼は花粉症新薬の治験者になって手にした30万円のほとんどを新柄の製版に使ってしまった。飯が食えないよと言いながら。今時、そんな姿勢で物作りをする奴なんていない。そして、それ以来花粉症が悪化したことも間違いない。確かに物作りに命を注いでいる。そんな彼らのデザインに父はまれに見る大絶賛だった。そして、同い年の彼とは悪ふざけの時も真剣な時も意気投合して、物作りに向かえる。お互いの信頼感が生み出せるものは本当に掛け替えがない。

『JUBILEE』

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 シミズダニさんが多摩美術大学の研究室に勤めていた頃、父は彼にいつも世話になっていた。彼は工場に来ると、全てを自分でやる。色を作り、布を張り、自ら刷る。初めはおぼつかなかったけれど、今は随分手際がよい。熱意ある姿勢はどこまでもまっすぐでかなわない。
 そして、彼は誰よりも、職人の神聖な作業の場を汚さない。彼ほど完璧に後片付けをする人を見たことがない。簡単なようでどの作業より大変なことだ。
 「職人さんに頼むのもいいけど、やはり自分でやりたい。捺染台の上で柄が生まれていく瞬間が好きだ」そう言っていたことが印象に残っている。彼のデザインした布は今もそうした姿勢から生まれている。

『cocca』

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 coccaは国内のプリントテキスタイルをメインとして展開する数少ないお店だ。国内デザイナーによる魅力的なオリジナルテキスタイルが並ぶ。だから、その企画ごとに様々なデザイナーとの出会いがある。今まで会ったどの方も本当に魅力的な方ばかりで、そんな出会いの火花の中から新しい1枚の布が生み出されていく。
 柄があって、イメージに沿えるように、絶妙なところで技術を加えて表現していく。coccaとの仕事もやはりどのブランドともひと味違う。何より、現場で立ち会い共に生み出していくこと、あの場所で初めて会い、その場所を喜んでくれる。そしてその中から布が生まれていく。
 プリントの担当は村山さんで、彼女はいつも自動車に乗って千葉からやってくる。朝9時に着くために随分早く家を出ているはずだ。僕が、毎回遠い所運転大変だよね、というと「私、運転が好きなんです」と、笑顔で言う。
 coccaは作り手が販売員も兼ねているから、作った物がその後どうなっていくかがリアルに伝わってくる。心を躍らせながら物作りをすることの大切さをいつも教えてくれる。

『イイダ傘店』

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 春の予感。梅の花が芽吹く頃になると、イイダ傘店から連絡がある。春の手前になれば毎年、イイダ傘店による日傘の展示受注会がある。今年も電話が鳴りイイダ傘店らしい優しく暖かい柄と色が送られてくる。
 飯田さんは父にとっては多摩美術大学の教え子だった。自分でやるのであれば、場所を貸すと父に言われ初めの頃、製版から、プリントまで工場に来てはやっていた。
 今年も、飯田さんは工場に顔を出してくれた。今期はブランド発足当初に世話になった型屋さんに頼むという。型屋さんに行くというので、バスも微妙だし、タクシーが一番近いかもと伝えたら、「昔は歩いて通っていたなあ」と言う。立派になったねえと僕が嫌みを言う。せっかくだしあの時みたいに歩くかなと言うので、それなら、そこに自転車あるから使っていいよ。と言ったら、喜んで自転車に乗って行った。あの時よりも、少し早く型屋さんに着くようになったかもしれない。
 僕は正直、飯田さんがその型屋さんを選んだことに感動した。値段や簡単さや目先の質だけで仕事をする訳じゃない。昔世話になった。でも、それって物作りを誠実にやるためには一番大事なことなんだ。言うことは簡単だけれど、実際やるのはそんな簡単な事じゃない。
 今まさに、展示会の最中で、今頃関西の方だろうか。へたくそが故に、直しすぎた僕のたくさんの色と、プリントの経緯を会場で展示してくれている。

 今も多くの人が工場に顔を出してくれる。ここで取り上げられなかった仲間も多い。
 物作りの感動を共有したい。だからこそ、今は人を介した仕事を極力しない。デザイナーと直接向き合って作る。それだけのことでいいと思っている。

教室風景

小学校の5人

 僕が技術を学ぶきっかけになったのは奥田塾があったからだ。父から染色を学ぶために、先生を始めとして本当に多くの人がそこに集まった。集まった人達で学び、集まった人達で楽しく物を作る。そして自分はそこで本当に多くを学ぶことが出来た。僕にとってはいつでも原点だ。
 父は、学校に教えに行くようなことは断っていたのだけど、背に腹は代えられないと笑いながら多摩美術大学に教えに行くようになり、僕はその後文化服装学院の話を頂いた。小学校や養護学校にボランティアで教えに行ったりもした。先日行われた、文化服装学院二部服装科有志による展示会。あれも、学生達の自主的な努力によって毎年、パワーアップしながら続けられている。担当の子やそのメンバーには毎年いろいろなことで世話になった。今回の展示会には本当に想いがこもっていて本当にありがたかった。
 春になれば恒例のリソースセンター主催の実習会も行われる。
 人に教えると言うことほど、勉強になるものはない。そして、柔軟なアイデアや新鮮な熱意にいつも触れることが出来る。学校嫌いの僕がこれほど学校に助けられるとは思っていなかった。

 職人である古谷さんのファンは多い。もう75才になるのに僕なんかより体力がある。そして誰よりも優しく器用だ。のこぎりと金槌だけで建物を直すし、工場から蒸気や水が漏れ出ても簡単に修理してしまう。僕が子供の頃はいつも職人の輪の中でお昼はどん兵衛ばかり食べて、僕にどん兵衛は体にいいんだと教えてくれた。すっかり今も洗脳されている。今はやめた沼さんはいつも工場に顔を出してくれるし、長田さんや近藤さんも。職人さんはもっともっとたくさんいた。古谷さんは奥田染工場の最後の職人さんだ。僕のせいできっと今も仕事を辞めることが出来ない。

 奥田染工場には古谷さんを筆頭に素敵な人達ばかり集まる。それは昔から変わらない、そういう人の価値が当たり前だと思って僕は育ったけどそんなことはないってことを、知るのは最近になってから。僕は確かに人に恵まれている。

 先代の社長であった父が亡くなったのは去年も終わりかけた頃だった。僕が子供の頃にはすでに、繊維関係の工場は斜陽産業だった。父や母の大変な思いを見て育った。どんな時も両親はいつも誠実だった。今もやめずに続いているのはそこに集まった仲間のお陰としかいいようがない。ほとんどの工場がもうないのに、うちの工場が今ここにあるのはそれ以外に考えられない。
 自分には本当にたくさんの師匠がいる。染料屋さんに型屋さんに。でもみんな、60や70歳を過ぎている。継ぐものはいない。僕はその意志を少しでも継ぎたい。
 子供の頃、夢はと聞かれてなにもないと答えた。家を継ぐなんてこっぱずかしくて言えるわけもない。両親だけではなく、早くに亡くなった祖父や更に先代の想いもある。何より自分は、それによって育てられた。そんな父の背中もあった。父は工場を自分の代でやめるために、ある時から新しく職人を雇わなくなった。継がなくていいと言っていた父は、同時に今の状況を一番喜んでくれているはずだ。父は継ぐと言うことを、早くに亡くした祖父に伝えられなかったことを後悔していた。父が20歳の頃、祖父は50歳で亡くなった。父の下には6人の兄弟と祖母がいた。おそらく、父は祖父のようになろうと生きたはずだ。だからこそあの人には何もなくても、本当に多くの仲間がいる。そしてよく言っていた、「親父が仲間を大切にしてくれたから亡くなった後、自分はみんなに助けられたんだ」と。
 おそらく、今の自分は当時の父以上に多くの人に助けられている。それはあなたがくれた最高の財産だ。
 意識の遠のく父を前にあなたが続けてきたことを無駄にしないからと、ちゃんと繋げていくからと、そう伝えた。

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    奥田正美
    昭和17年東京生まれ
    東京都立八王子工業高校色染科卒業。
    武蔵大学に進学。
    昭和38年、二代目の父の急死を経て、同大経済原論科在学中から工場の主に。工場では「奥田塾」なるシルクスクリーンプリントや植物染めなどの教室も定期的に開催し、積極的に若い世代との交流を持ち、日本の染色技術の普及に努めた。平成22年11月末、多くの仲間達が見守る中、静かに息を引き取った。
    奥田博伸
    昭和54年生まれ (株)奥田染工場代表取締役
    文化服装学院/文化ファッション大学院大学 非常勤講師
    多摩美術大学/大塚テキスタイルリカレント 特別講師 など
    奥田塾/文化服装学院Ⅱ部実習会

2年前、父が亡くなって半年後に、バタバタとしている中で、
文化学園ファッションリソースセンターの発行するフリーペーパー向けに寄稿した文章です。

このような文章にしたのは父の同級生であった横地さんから頂いた『手紙』(リンク先に掲載しています)が発端です。
横地さんから頂いた手紙は本当に素敵な内容で、自分のこれからにとって本当に大事なものになりました。
(勝手な公開本当に申し訳ありませんでした)
裏でそんなこと言ってたのかこのやろっと思いました。
父にすっかりやられた病院の先生に息子さんに話があるとか。
当時はいろいろな方から経由して大切なメッセージを頂きました。
そんなことも含めた、blog中にある報告云々は向き合うことが出来ず結局放置してしまいました。

初めて外に向けて書いた文章だと思います。
写真はblog向けに一部変更していますが、文章には手を加えていません。
(当時の不勉強さで本当はちょっと変えたい部分もあります…)
プロフィールも当時の物です。
かなり部数を刷ったはずですが、在庫がなくなったようで、ここに転載する許可を頂きました。
当時、こういった機会を頂いたことで、自分の中にはっきりと指針を残すことが出来ました。
短い期間の中で文章の推敲やアドバイスなど的確にしてくださった上田さんを筆頭に、いつも世話になってばかりのスタッフの方々に心より感謝致します。
発行:文化学園ファッションリソースセンター
http://www.bunka.ac.jp/frc/
blog
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みやしんの廃業について思うこと 『いいものを作ることと儲かることはそもそも違う』について:ゆるゆるnotes

昨日の繊研新聞にみやしん廃業について載っていた。
http://instagram.com/p/Pth5lAjPat/ (リンク借りました)

太田さんもブログにて取り上げている。
太田伸之の「売場に学ぼう」|Vol.629 みやしん廃業に思う
http://plaza.rakuten.co.jp/tribeca512/diary/201209180000/?scid=we_blg_tw01

みやしんの廃業について僕が思うことが何かと言えば
メイドインジャパンだ、いい物作りをしろと言うが、
いいものをつくれば儲かるというのは、少なからず嘘だということについてだ。

こんなこと言っていいのか分からないけれど、
宮本英治はその活躍とは違い、八王子の機屋さんと呼ばれる人が良い車を乗りまわしているのと違って、非常に生活は地味だった。昔からそうだ。
みやしんは八王子でもずば抜けていい仕事をしてきたし、時代の空気に取り残されない姿勢で物作りを行っていた。
みやしんが生み出してきた布を見たことがあればその事実に触れているはずだ。
その柔軟なアイデアから生まれたアーカイブは明らかに圧倒的だ。
そう言うクオリティの仕事が出来る工場は日本全国を探したってほんの一握りに限られている。
だからこそ、小さな会社に過ぎない、この規模の工場なんて日々なくなって言っているにも関わらず、
それはある種のショックを秘めているのだ。

僕は小さい頃から、父親によくみやしんに連れて行って貰ったし、宮本さんもよくうちの工場に顔を出してくれていた。
とにかく自分がその姿勢から学ぶことは多かった。
多くが時代に取り残されて行ったのが実際の中、常にいま社会に必要な物作りの姿勢を貫いていたと思う。
それでも、常に、生き残るために厳しい環境の中で戦っていた。
日本のテキスタイル界全体に残してきた功績はとにかく大きい。
その時代のよい物作りがなんなのかを読み取る力、その仕事の質、それが今回の廃業によって貶められることはない。
太田さんはみやしんの廃業はメードインジャパン衰退の象徴だというけれど、
僕にとっては一時代の終わりを感じずにはいられない。

今回のことに対して、ニーズがないからだ、結局いい仕事をしていなかったからだというゆるめなアパレル勤務の方のつぶやきを見かけたが本当に馬鹿げていると思う。
事情が、そんな単純で簡単な事なら、誰も苦労しない。
むしろ、そういう世間知らずの上から目線の人が問題なんだという話なんだ。
というかむしろ、八王子の機屋の99%はなくなっているに等しい。その中で、必要とされ続けてきたことの意味がどういうことか分かっていない。
そもそも廃業であって、倒産ではないということも言っておく。
継ぐために入っていた息子くんもめっちゃ才能のある男だった。

いい物づくりが儲かるということに繋がる訳ではない。
いや、むしろ儲からない。
儲けたいなら、安く手に入れて高く売ればいい。
儲けたければ、工賃数百円のために何倍の手間を掛けることはない。
儲けとは別に、いい物づくりは社会にとって必ず必要な物だと、そうでなければ行けないと言う、物作りを誠実に行うからこそ、見えていた世界があると思う。
時代の劇的な変化の中で、みやしんという会社は布作りに奉仕し続けてきたのだ。
繊研新聞には、長い付き合いのアパレルメーカーの若い担当者からの唐突な連絡「1メートル当たり2000円もする宮本さんの生地は使えませんから」が廃業を決意するきっかけだったと書かれているけれど、そんな失礼な言葉なんてこの仕事をやっていると本当に良くあることだ。おそらくその言葉はいままでのことに対するきっかけに過ぎないと思う。
そんな扱いなら、誠実に物作りに取り組んできた以上、この場を立ち去るという判断以外ありえない。
その事実はとても重い。
その若い担当者1人の問題だと思うなら大きな勘違いだ。もしそれがきっかけに過ぎず、今までがあったなら、そう言うことではないだろう。
物作りに携わる人間として、大切にしなければならないことがある。
それでなければ、物を作るセンスがないに等しいと思う。

もう僕らはみやしんが生み出す布を手にすることが二度と出来ない。
そういうクリエショーンを守ることが出来なかった。
そしてそれはいまも至る所で続いている。
それはその価値を知っていた人、それを惜しいと思う人、それぞれの罪なんだと思う。
本人が罪なことなんてあるもんか、いままでずっと戦い続けてきたんだ。
自分たちが真摯に育ててきたものを手放すことに、涙を流さない人間がいる訳がないだろう。

いいものづくりをすれば儲かるは絶対に嘘である。
それだけは言っておかなければいけない。
いまそれがどうなのかは知らない。
しかしいままではずっとそうだった。
ただそれでも、いい物作りをすることの恩恵を受けている人がいったい誰かと言うことだ。

昨日あげられたブログに南さんが書かれているが、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120914/236812/?P=2
売れるかどうかの絶対的な力は安さに依存する。

昔、とても良い仕事をする縫製屋さんと話していて、当時の僕には意味の分からなかったことがある。
いい仕事をしようとしたところはみんな潰れた。
いま生き残っているのは、たいがい当時、安く多くの仕事をしていたところだ。
実際あの地域にそれが多く残っているのはそういうことだと。

ある時代、周りのプリント屋さんで儲けていたところはどこか。
一番儲かったのはとにかく質より、安く早くを追求した工場だ。
他より少し安く、後はスピード重視で1日何百反と仕上げる。
それが一番儲かった。
職人気質でバカ正直にとにかく綺麗に仕事をしようが、お金儲けという意味では正解ではなかった。

宮本さんが珍しく顔を出してくれて、話した。
まあ珍しいなと思ったら、やめるって話だった。そのためにわざわざ顔を出してくれた。
その中でぼそっと、あの頃素直にネクタイのプリントやっていれば儲かったのに、いろいろ関わらせたから親父には損させたよな。という話だった。
某有名ブランドの仕事だとかなんとかさんざんやったけど、その手の仕事はとにかく赤字だったと親からさんざん聞いている。
10年前でさえ高くてめんどくさい仕事より、1枚100円のTシャツのプリントをたくさんやった方が儲かった。(今はもうTシャツの仕事なんて厳しいけど)
さらにずっと昔のその当時も同じ。別に物作りについて日本のトップのいくつかのブランドをやったからって儲からない。むしろ逆なんだ。大変なんだから。
ただ、その時変なことばかりやったから、父親には多方面で特殊なことに対する知識が育ったはずだ。
何かひとつではなくて、いろいろなことを論理的に知っていて活用できる。
それが特殊なことだと、いろいろな人と関わる中でよく分かった。
大概の工場は自分のやること以外を知らないことが多い。
父親もまた、物作りに対して愚直な人だった。物作りを純粋に楽しむ人だった。だから彼は誰よりも、特殊で柔軟な知識を持っていた。その代わり、お金儲けはとってもへたくそな人だったけど。
ただ、それがいまの自分にとって役立っていることは間違いない。
お金儲けなら、不正解だけれど、よい物を生み出すという意味ではそれは正解だ。
だから、自分はいまも続けることが出来ている。
そもそも続けていること自体、お金儲けという意味では不正解だ。
それが目的なら、もう僕もすぐにこの仕事はやめる。やめた方が儲かる。
でも、僕が育ったこの世界、物作りに対して、誠実にいたいと思うなら、それはやはり不正解だ。

そもそも、お金が儲かる仕事だけしてればいいなんて考えは、食い荒らす考えに似ていると思う。
森に砂漠を作るなんて簡単なことなんだ。とにかく食い荒らせばいいんだもの。

僕が子供の頃から知っている風景がまたひとつ減ることを悲しく思う。
積み上げてきた技術がそれで終わってしまう。
物作りに携わる人間にとってこれほどに悲しいことはない。
子供の頃、親に待たされ続けて、みやしんのサンプル置き場の窓から見ていた景色をいまも忘れない。

まるで戦場で次々に兵士が死んでいく様だ。
いま、周りの工場が次々にやめていく。
僕がいまこうして仕事をしているのはきっと少しだけ運がよいだけにすぎない。
もともとはこのあたりでは一番大きかったプリント工場で、一度潰れた後、うちに入っていた工場も実はいままさにやめる。
その方にも僕は沢山のことを教えて貰った。
貴重な先輩達が教えてくれた貴重な知恵によって、僕のいまのすべてがある。
技術も思想も全て、先人が示してくれた物だ。

その話より、ずっと前に宮本さんは、どこも義理も人情もないところばかりになったと嘆いていた。
僕は今、それが仕事になろうがなんだろうが、意地でも、義理も人情もない人とは絶対に仕事をしないと決めている。
運良くそれが言える状況に僕はある。本当にこれは運だ。
父親はずっとそうしてきたし、ミントしかり、彼がこの工場に残したのは、義理や人情に本当に厚い人達だ。僕は今確かに恵まれた環境にいる。本当に自分は何もしていないのに明らかに守られている。
感謝を忘れないでいたい。
人と人との関係の中で物を生み出していけるこの環境を。
心のない人となんか、何も作りたくないもん。
間違いで溢れているからこそ、愚かさで溢れているからこそ、これが物作りの正解だって、示すために。その一片として、何かに関われたら幸せだと思う。その幸せのためにやっている。
それに相応しい自分を育てなくてはいけない。

親父が死ぬとき、不覚にも僕は約束してしまった。
あなたがいままでやってきたことは絶対に無駄にはしないと。
続けるって、約束してしまった。

別れ際、最近顔出してくれないと、怒ったら、
宮本さんは、これ済んだら暇になるから、いつでもお茶飲みに来れると笑った。
今から楽しみに、急須にお茶っぱをいつもより多めに入れておこうと思う。
父親にとって宮本さんは大切な大切な盟友だった。
宮本さんもちょうど定年ってなもんだ。
きっと何も無駄にはならない。
これ以上バカみたいに苦労して、老けちまうんじゃもったいない。
というか、暇にはなるとは思えない。明らかに、必要としている人がたくさんいるもの。
きっとだから、何も終わっていない。

経済としては衰退していくかも知れない。
まだまだ廃業は続くと思う。
でも、少なからず僕は、その中で、だからこそ、僕の身の回りの物作りを前進するために続けている。
何も、絶対に無駄にしたくない。
僕の尊敬する先人達がそうであった様に、大志を見失わない生き方に憧れる。ずっとまだまだだけど。
後退じゃない、前進だよ。

必要だと思ってくれる人がいる限りは続けていく。
でも、きっと僕も、もう必要ないとなったら、やめるんだろうなとも思う。
そりゃそうだ。

ただはっきりしていることは、みやしんのクリエーションは唯一無二で今後も誰にも真似は出来ないだろうなという、事実についてだ。

僕がブランドをはじめた理由4/4『素敵な場所がある』 :ゆるゆるnotes

染めると言うことに関して言えば、特に日本人が得意としている分野でもある。
平面性の着物にとって、その布の表面の持つ意味は、洋服が持つ意味とはひと味違う。
布そのものの表現を見せることが出来る。
染め布の表現で、オリジナルの布で、それをこの時代、環境において生かす分野、そう考えれば浴衣というある種、気軽でもある形式は自分たちにとって魅力的な媒体であった。
分野を問わず、布で出来るものをとにかく抽出して考えて、一番自分たちがやる価値を感じたのがそれだった。
日本人であるなら、日本人が昔から多分野で得意にしてきたその平面の表現、ましてや“布の世界で現代的に突き詰めるきっかけを作る事”が出来るとすれば、非常に価値のあることである。
本業を抱えている自分としては夏に毎回一度だけというのもいい。あまりにも拡大する様な物作りでは、それだけのものに僕は時間を費やせない。何度も言うが、僕にとっては本業の方が数億倍大切である。
そもそも、こんなブランドだなんだと言っていると、何やっているんだと、静かに親父に優しい顔で厳しいことをさらりと言われるに決まっている。

そうなんだ。
とにかく自分はすごい人達に囲まれている。
人に本当に恵まれている。
いい影響があるとするなら、それはもう素敵な人達に囲まれていることである。
とにかく贅沢なほど素敵なエネルギーをたくさん吸う機会に恵まれている。
自分なんかまったく何もない。
勘違いしてしまいたくない。何もないんだと言うことを忘れたくない。
5年前、10年前自分は何をしていたか。
何もない世界でもがいていた。たいしたことない日常の中でどうでもいい悩みが人より深かったことぐらい、そんな事に悩めるほどに僕には何もなかった。
ある人が優しさをくれて、ある人が厳しさをくれた。誰かが明日やらねば行けないことを与えてくれた。そしてある日、立つ場所を譲られた。舞台を作ったのは僕ではない。
ぐるぐる世界は回って、人がくれた物で、空っぽだった僕の内側は、あの日より新しい物の置き場所に困るぐらいにはなれた気がする。
ある人はそう言うのをお陰様と言うんだと教えてくれた。

人に偉そうに言える物なんて何一つ持っていないのに、さも偉いんだという顔をして、
人から教わっただけの物をさも自分が昔から知っていた様な顔をして、
偉そうに教える。
偉そうに見せているだけで、中味は相変わらず空っぽなままだ。
勇気を持って強がることを覚えたぐらいで、あの日と本当は何も変わっていない。

好きな道を選んで、やるべき物を野心と遊び心を持って進む日々は最高である。
沢山の素敵な仲間がいる。素敵な人達と過ごせる時間ほど貴重で掛け替えのない物はない。
本当にみんな素敵なんだ。そのお陰でいつだってその有り難さと感動でどうしようもないほどに心がふるえる。
生きていれば、やれることのひとつやふたつは出来るもんだ。
やるべきことやって、素敵な仲間がいて、楽しく日々を生きられたら、やはり最高だと思う。
ただ、大切なことを裏切らない様にと切に切に思う。
だから、道はきっとずっと遠いけど、ここにいてくれる素敵な人達の期待に応えられる様に、あの工場をもっともっと魅力的な場所にして行けたらなと思っている。
ここにどこにもない様な素敵な世界を作りたい。
必然性のある。誰かに必要とされる場所である様に。

僕がブランドをはじめた理由3/4『ゆかたなわけ』 :ゆるゆるnotes

浴衣をはじめた理由は、簡単だ。
工場が取り扱っていない分野が良かった。
例えば、傘を作り出したら違う。
成功例を正しく真似して、金儲けを考えるなら、そんなつまらなくて愚かな時間はないと思うのだ。それならただうちに来るブランドが成功していってくれた方が断然いい。何より、そういうのはあまりに品がない。品がないことは嫌いである。ましてや仲間とは美味しくお酒を呑みたい。

だから、プリントが生きつつ、うちに来る誰もがやっていない種類のものがよかった。
そのころから一緒に物作りをしていた吉田は呉服屋の娘であるから、浴衣という分野をやる必然的価値も見出しやすかった。それぞれの強みが生きる分野がいい。
吉田とは、この浴衣をはじめる前から、高いドレスにデザインを提供したり、某ブランドに染めを提供したり、実験的なデザインを陰ながらずっと行っていた。
布で何をやるか、何年も考えた結果がそんなことだった。

自分としては吉田にもご実家のせっかく続けてきた物を、なにがしか形にして欲しいという、僕の勝手な想いもあった。せっかくの素敵な実家の仕事なのだ。両親が仕事をする背中を見て何かを学ぶことはけっして悪い事じゃない。僕の勝手な話だけど。
親の知恵を借りてに何かをするって素敵なことだと思うんだ。

当然、デザインとしてもやりがいがある。
売れなくなっていることも手伝って、世間的に似た様な浴衣ばかりになっている。
どこに行っても似た様な物ばかり。
それなら似ていない物が生まれる必然性はもはやないのか。

何か面白いことが出来るかも知れない。
それは奇をてらって無茶なことや下品なことをするということではない。
今のままでは面白くない、それならどうしたら面白くなるのかについて表現することにある。

それがあれば素晴らしいはずなのに、ないままにされている物に気付き、その魅力の本質を引き出し、実際の世界に生み出すこと。
時代性や環境に合わせより美しく表現していくこと、それがデザインであるなら、それは十分魅力的なことである。

何より、着物、日本人が着慣れてきたそれは確かに日本の女性をどんな衣服より素敵に見せる構造を持っている。
しかし町並みや生活習慣が変わっていく中で、その整合性は当時のままでないのは当たり前でもある。衣服の形状は、美しいとされる人の動作も変える。
例えば機能性を考えるなら、夏は当時よりずっと暑い。
問題点が多いから廃れていく。存在に対する整合性がないから廃れていく。
しかし一番はどんな分野であっても魅力的でない物は廃れると言うことについてである。
例えばサッカー人口が増えているのはなぜか。魅力的だからである。
魅力的であるというのは、良い循環を生み出し、その魅力を育てる。
浴衣を着てみれば分かるが、十分他にはない魅力的な側面を持っている。
それを何も生かさず放置しておくのではもったいない。それに僕は日本というこの土地が持っているエネルギーが大好きなんだ。失われていく物に敏感にならざる終えない。
必要がなければ消えてしまえばいいのかも知れない。
でも、新しい発見があるのに、ゴミ箱に捨ててしまうことは好きじゃない。

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僕がブランドをはじめた理由 2/4 『仲間』:ゆるゆるnotes

僕の周りの人達はどんどん結果を残して、成功の形を作っていく。
何をすると失敗し、何をすると成功するのか。
いろいろな背中を実際見ることが出来る。
ましてや、成功の背中は非常に貴重な背中である。
うちの工場はたいしたものでもないのにどうやら
ファッション座敷童的な物がおそらく住み着いているから、そういう背中を見る機会に恵まれる。
迷ったときは、こういう時は何々さんならどうするだろうと考える。
だいたいそれは適切で最善の答えである。

うちはここ数年、自分のブランドをはじめるという人が多く訪れる。
1年でやめてしまうブランドがどれぐらい多いかについて言う。
続けない人のために、自分たちも本当はその労力は投資したくない。
1年目など、お金が消えるだけで儲かるわけもない。
消えていくだけのお金を目の前に、ましてや期待ほど売れず、期待ほど見て貰えず、絶望する。
見ている限り、3年は必要だという話をする。それだって分からない。
予備知識で分かっていたって、実際は悔しい物である。
ましてや華やかな物を夢見ていただけなら、その白鳥は池に沈んでいくだけである。
そんなことを偉そうに言いながら、自分もその難しさを体験する。
有り難さは、そう他の人に言っている都合上、自分がすぐに投げ出せないことにある。
どんなこともはじめは儲からない、儲かる様にするには時間が必要だと言う自覚が少ない人は非常に多い。そんなことを口では偉そうに言うわけである。
逆に言えば、たかだかそれだけのことである。
待ち、育てる、という美学を、結果がすぐに手に入るこのサイクルの早い現代においては忘れがちな人は多い、
じっくり待ちながら、そこに工夫と知恵を与えていく。
育つというのは一日ごとでは目に見えない。
何ヶ月もして見比べてみてやっと気がつく物かも知れない。

ゆっくり育つ方が、丈夫に育つ。
無理して大きく育てると、突風ですぐに折れる。というのはまた別の話か。

関わる加工屋にとってもそういうブランドは、少ない数を高くやる加工屋以外は儲かりはしない。何か好きなことをはじめた、しかし誰も儲けさせてはいないと言うところからはじまる訳である。
数年後、もし他人を儲けさせた自分という物を心から喜べる自分にその時なれているとすれば、それは本質的に多くの他者を動かす力を持った人物が持つ特質だと強く感じる。

3年にはいろいろな意味が含まれている。
例えば1年目roomsのような総合展示会に出す。
バイヤーはすぐには手を出さない。
何年かそれを続けてみて、やっと声を掛けてくれる。
バイヤーにしたって、1年でやめてしまう様なブランドに声を掛けても時間の無駄というものだ。
続けているというのは十分ブランドとしての重みにも、信用にもなる。
ということを友人が教えてくれたりする。
デザイナーはデザイナーでそういう期間にノウハウの基盤を育てるわけだ。

子供の頃から僕は職人さんに囲まれて育った。
職人さんがどんな風に考えているか、うちに来るデザイナー達よりは十分分かっているつもりである。
それもまたさまざまな人が関わる物作りにおいて重要だと思った。
こうしてこうすれば、そうしてこうあって欲しいという。理想がある。
誰かを下に見る物作りなんかいやなんだ。
工場や職人を下に見るような人とは仕事をしたくない。
物を作るその繋がりのあり方にも僕は興味があった。
理想がある。それも自分が他の人に頼むという形で、試して見たかった。
その自分が思う最善の物作りの理想型を自分が実践してみたかった。
簡単なことである。
関わる様々な人が素敵な気持ちで関わってくれたら、どんなものより素敵な物作りに繋がっていくという信念である。
作り手の心や他者の心を疎かにして物作りをする人が本当に多いから。
それじゃ絶対にある壁を越えられない。
だってそうでしょ、誰もそんな人のためには本気で関わらないもの。
利己主義者の不器用だなんて言葉は免罪符にはならないよ。

数年前、僕はmintdesignsの八木さんがある講演会で言っていた。
何かの流れで、セントマーチンでなぜ首席を取れたのかについて語った言葉が忘れられない。
日本と違って、その評価は最後の作品ですべて決まる。
途中の評価というのはない。
学校生活のすべてが最後の卒制に凝縮される。
それは何かというと、学生生活の中で、どれだけ仲間を作れたかについて。
本当にいろいろな人が助けてくれた、困ったときに手を差し伸べてくれた、学生生活の中で大切な仲間を作れたから自分はそういう結果を得られたんだと。
そんな風なことを言っていた。
もっと、素敵に言っていた様な気がする。
後で、ひろくんずっと寝てたわよねと言われた。
寝てない。ほらちゃんと聞いている。
落書きしていたから、ちゃんと覚えていないけど。

<3/4へ>

僕がブランドをはじめた理由 1/4 『本業』:ゆるゆるnotes

本業はプリント屋である。
それ以上でもそれ以下でもない。
何かを勘違いしてはじめた可能性があるが、勘違いしてやるにはなかなか厳しい世界ではある。

当初一番の目的になったのは、いまの仕事の質を上げたいという思いにあった。
デザイナー達に、物作りの現場が分からなければいい物づくりにはならない。
とよくもまあ偉そうに言う。
その論理が正しいのであれば、自分もデザイナーの気持ちを理解できなければ、(自分の仕事が)いい仕事にならない。それに言っていることにもそれではまったく説得力がない。
素晴らしい意識を持ったデザイナーと出会い、そんなデザイナーの期待に最大限、応えていく。期待を裏切らない、それ以上の仕事がしたい。
出会えて良かったと喜んで貰える仕事を提供したい。
そんなクリエーションに関わっていきたい。
それなら、デザイナーが何に悩んで、何を思って物作りをしているのか、それを少しでも知らなければ行けないと思った。

というのが一番の動機である。
ただ最近その結果として、時に人に対して厳しくなっただけの様な気もするけど…
甘ったれた意識でやってんじゃねえよと。つまんねえんだよ。と。
いやあ、やはり偉そうなもんだ。身の程に合っていない。

実際、現場を分からないデザイナーの多さもさることながら、デザイナーの気持ちなどとはまったく無縁の加工屋というのも多い。
それぐらいの距離感で行われる物作りからはある程度の物しか生まれないと思う。
ただ、それでいい世界というのがあることを僕は否定はしない。
ただ自分の場合、ある程度の物を作っていたのでは存在価値を失う。
僕がそれではいけないのは、ただ、それだけのことだ。
それ以上に、面白いことに関わりたいという思いが強くあるけど。

しかし、そんな綺麗事の動機ばかりではなくて。
不純な動機もある。
こういう仕事というのは決定権は常に相手にある。
相手の顔を見て、どうして欲しいと考えているのかを汲んで、最良の提案をし、そして選択して頂く。
その環境を提供することが僕の仕事であり、選択するのは僕であるべきではない。自分のイメージではなく、相手のイメージを生かすことが仕事なのだ。
ただ、例えばすごく実験を繰り返した技法なんかであると、その技法にさんざん付き合っていたのもあって、こうやってこうやってこういうもんなんで、どうしましょうというよりも、自分の中にはこうしてこうすれば素敵な物になるという思いがあったりする。
もしくは、通常の技法であっても、本当はこうしてこうしたほうがいいのではないだろうかとか。もっとこうやればいいのにとか。
相手には任せる中で、そういった気持ちもまた段々溜まってくる。
溜まってくればどこかではき出したくなる。
だからはき出す場所を作った。
というのは不純な動機である。
なにがしかの世界を表現したいという、更に本業とはすこぶる無縁の不純な動機もあったりする…

しかしこういうことをやっているとつくづく勘違いしたら駄目だなと思う。
自分は工場主であるし、それが一番大事な仕事である。
それがひっくり返ってしまってはまったく意味がない。

だから趣味に違いない。
ただ、はじめた以上、後に引けない趣味ではある。
やる以上、それがどんな事であろうとも良い結果に結びつけたい。
その気持ちがなければそもそも何もはじめない。
だから実際はそれほどの活動ではないけれど、思っている以上にいいことやってるなと我ながら勝手に思っていたりもする。
資金はまったくないが、いろいろな人が協力してくれることは事実である。

<2/4へ>

続染色について思うこと 人を動かすということと豊かさについて:ゆるゆるnotes

織物の八王子

数年前の講演で、中国に行かれている人が言っていた。
中国の工場では日本のファッションの仕事はうるさくてお金も安いので嫌われるが、少しだけ残すという。
なぜそうするかというと、日本人は細かいからその要求に応えていると技術が上がる。だから少しだけ残す。
その上でヨーロッパの仕事をするのである。
日本の仕事はうるさい上に、お金も少ししかくれない。
ヨーロッパはうるさくないし、お金もしっかりくれる。
そうしたら誰だって、日本の仕事なんかするのは嫌だが、技術の上がる面があるからそこだけ残すのである。
先日のチョコレートと染色の話でも触れたが、そういう意味では、ある意味ちゃんと工場の中で両方のいいところを取っている。

逆に言うと、国内の中にも当然その要素はある、うるさくてお金にならない人の仕事なんて言うのは、もしうるさくなくて、お金をちゃんとくれる仕事が現れた時、間違いなく相手にされなくなる。
うるさくて、お金にならないというのは、一方的な権利の要求になるから当たり前である。
そんなことがわかっていなくて、やって貰える場所を失っていく人は有名無名問わず、確かにいるのは昔から変わらない。
そして加工屋がみるみる減っていく今に至ってはそれは非常に重要な事である。

それなら、どう自分の仕事をして貰うのか。
それには戦略がいる。ましてや、資本のない、個人レベルのブランドを立ち上げましたなんて言う人にとっては一番重要なことである。
松下幸之助は、「お金を出すのがいやだったら、頭を十ぺん下げる。そんなことはいやだと、お金も出さない、頭も下げないというのでは、成功しない」と言った。
相手に何を提示すべきかを考えられない人は、人を動かすことが出来ない。
何かをしよう、そのために多くの人に動いて貰わなければ行けない、それならどうしたら人が動いてくれるかぐらいは考えておくべきである。
そして本当に動いて貰うためには、嫌々ではなく喜びながら動いてくれたら、それが一番の成果を生むはずである。
それを考えるべきなのだ。あなたは買ってくれる人だけではなく、関わるすべての人に喜びを与えながら進むことが出来るのである。
関わる人達すべてを感動させることさえ出来るのだ。
そういう、デザイナーは確かにいる。
そういう人のデザインには嘘がない。デザインがその力を持って、現実の行為の中でも確かに実行されているからだ。
ハッピーなデザインだといいながら、周りの人さえハッピーに出来ていない嘘つきなんて言うのは意外と良くある話ではある。その言葉はあまりにも軽い。

地震のあった後、日本を支援したいから、日本独自の染めで作りたいから安くやってくれるところを紹介してくれと言う。それを外国で売って日本の支援としたいという。売り上げの一部を寄付するという。でも、ボランティアなのでどうにか安くやりたいという。
どうにか無理して安くやりたいと言う時点で、まったく日本の支援にはならないと言うことがわかっていない。
あれはただ、自分のデザインを綺麗事で売りたいだけだなと自分は感じた。
相手のことを思うなら、当たり前の物、相手が続けていける、生活していけるだけの物を提示するのが当たり前だからである。
儲けさせられたら一人前である。
ましてや作るための資本があるなら、はじめからそのお金を募金してしまえばいい。
自分は綺麗事を利用して、自分の為に行動する人が一番嫌いなのである。

日本の工場は、実際明日ご飯が食べられないほどに疲弊している。
それに更に甘えて、齧り付いてどうする。

先日、またみんなを連れて注染屋さんの見学に行った。
先日の台風で屋根が吹き飛んだという。
トタン屋根の一部が抜けて、工場には青空が差し込んでいる。
「みんなには直せって言われるんだけど、悔しいから絶対直さない」という。
「いつやめてもいいんだってんじゃなきゃ、やっていられない」
そこの工場は、早くに旦那さんが亡くなって、やめようとも思ったけど、続けている。
なんて話を聞いた気がするが、定かではない。
その工場に行くと熱意のある話をいつも話しを聞かせてくれる。
若い人も雇ってどうにか続けようとしている。
今の時代、技術者の高齢化の中にあって、技術の継承はもっとも切実な現実である。

ちょうど僕はいま浴衣をやっている。
何か注染の技術をちゃんと理解して作られた物を作りたい。
注染なんて言うと、例えば傷は出やすい技法だし、堅牢度の良くない染めもある。
それが注染であるが、それを分かっていない人は多い。
注染の知り合いは何人かいるから、同じような話を良く聞くことになる。
その価値はわからなくても文句を言うのが得意な人というのはいる。
欠点を消すことは長所を消す恐れがあると言うことに慎重でなければ行けない。
人が大切にしているものに口を出すなら、何事にも敬意というのは必要なのである。
だからプロ面の素人は嫌われる。
それなら、いま一番、染色堅牢度と取り扱いで嫌われている染料でも使おうかと僕は思っている。
それにはその味が確かにあるからである。その味を生かすことがテキスタイルデザインである。

堅牢度は悪いが、ただ取り扱いに注意すればいいだけである。
物を大切に、丁寧に扱うことは悪いことではない。
誰にも簡単にが、本当に大切な物をたくさん取りこぼしてきたのがいまの日本だと、僕はずっと思っている。
手間を掛ける、面倒を見る。それによって生まれる豊かさは極めて強固である。
それは消費ではなく、循環によって成り立つ豊かさだからである。
それをわびさびと言い、粋と言った。
日本人はいったい何を追いかけ続けていたのだろう。
いや、人というのは目先の欲に弱い生き物なのかも知れない。
千と千尋の神隠しの両親のように、日本人はいまみんな欲に溺れた豚なんだ。

浴衣と言えば、やはり注染である。
僕は浴衣をやりたいから、いくらぐらいで出来るかと聞いて、あまりに安いんでびっくりした。
職人さんの動きを見ている。時間でどれ位生産出来ているかを見ている。
これでも、社長のはしくれなので計算してみる。
それなら、屋根を直したくなんてならないかも知れない。

昔だったら、凄いロットあった仕事も数が減って、最低ロットさえも減って、加工賃は変わらない。それが現実である。
ましてや、おそらくうちがそうであるように、材料費は上がっているはずである。
うちなんかには比べられないぐらい、注染というのは材料を使う。
ロットの減少、細かい仕事の繰り返しでは、まったく仕上がりが進まない。
それは驚くほどに仕上がる量が変わるが同じ加工賃なら割に合うわけもない。

うちの工場も、10年以上前バブルがはじけて間もない頃、某有名ブランドのTシャツやトレーナーのプリントをやっていた。
20歳そこそこの僕はうちの仕事はなんて仕事なんだと思った。
5人で1日やって、光熱費も材料費も、場所代も入れて、5万円にしかならないのである。
借金だって返さなきゃ行けない。親父には長男として支えなければ行けないことも腐るほどあった。
そのころ、いま有名な某大手SPAが中国に出している仕事を、中国と同じ加工賃でやっている日本のプリント工場の話を聞いた。それでも工場を動かしていた方がマシだったのかも知れない。いま、その工場がどうなっているかを僕は知らない。

手ぬぐいがそれぐらいで売られていて、原価がそれぐらい、極めて商売として現実的かも知れないが、工場としてはまったく現実的ではない。
ましてや、B品も全部平気で返してくるところも多いようである。
染めなんか汚しているような物なんだから、ケチを付ければきりがない。

工場がなくなっていくというのはそう言うことである。

はっきりしていることは、なくなった後に騒いでももう遅いと言うことだけだ。
歯を食いしばりながら、それでも何か大切な物のために続けている技術者は非常に多い。
この世界ではみんな、自分自身が自分が最後の砦だと分かっているからである。

丹後ちりめんの産地である丹後市での自殺者数が全国的に見てもかなり多いという報道がされていたのはいつのことだったろうか。
夫婦でやっている機屋さんの月の給料がびっくりするぐらい安かった。
僕の知っている現実なんかより更に厳しい実態がそこにはある。
八王子だって、同業者で自殺した人を何人か知っている。当然そこには生命保険が掛かっている。

金儲けが商売なのだから、金儲けできないのは偉い商売じゃないと偉そうに言う人がいる。金を儲けられるほど偉くて、社会で成功している人だという。こういう人達のことを知っていると、僕はそういう人の話が本当に腹が立つ。
そういう人達は、本当の意味での社会的な役目や、もしかしたら、守らなければ行けない何かを持ったことのない人達かも知れない。

ましてや、人の一生に優劣を付けるなんて今時流行らない。
もしそれでも、優劣を付けるなら、つまらない価値基準で生きている人は役立たずである。
人の一生の重みをまったく分かっていない。

八王子の駅前には織物町の石像があったがもはやない、機屋さんはいっぱい減って、他の職種になっていった。土地を持っている人も多かったから不動産屋さんになった人も多い。
いま残るのは、なにがしかの理由でやめられなかった人達である。
その理由を僕は知らない。
戦後の繊維産業の好景気で、儲かった時代があり、起業した企業がたくさんあったというのも事実である。
関係のない話だが、数年前、引っ越さなければ行けなくなって庭にあったお稲荷さんを神社に頼んで、撤去しなければ行けなくなった。僕は昔は体が弱くてそれで建てられた物だ。
神社の話だと、バブル崩壊してすぐは、八王子の機屋さんにあったお稲荷さんを本当にたくさん撤去したと言っていた。

浴衣なら、和裁である。一着作るのに1日か2日掛かる。
洋裁だって変わらない。買いたたくことしかない人にはそれが分からない。
縫製を仲介して貰う為に、この前業者さんと話した。
そんな値段でその枚数やっていくらになるんだよ。どれも割に合わないんだから値切るどころかちゃんと払わなきゃだめだろという話になった。やはり、賃金が安ければ、次の担い手は現れない。安くやって貰えた、ラッキーだという奴はだからアホだと言いたいのだ。

お金は愛情と変わらない。
というと勘違いする人がいるかも知れない。
みんなで値切り合う世の中より、少しでも多く渡しあう世の中の方が豊かだと思う。
いや、それに相応しいだけでいいのである。
愛情や優しさと何も変わらない。
社会を豊かにするとはそういう精神の問題だろう。
なぜ、お金を払うのか。
少しでも、他人から豊かさを奪うためだと思うなら、値切ればいい。もしくは奪われすぎないためにと思うなら、やはり値切るべきだ。
ただ、人から何かを譲って貰えることに心から感謝をして払うんだと思ったら、値切るなんてくだらないことはない。自分が払いたいだけちゃんと払えばいいのである。
どちらが正しいとは言わない。状況によって変わるからである。
でも、どちらもあると言うことは忘れない方がいい。
値切ることばかりはやし立てられていて正しい事のように思って、人に感謝をして払うと言うことを忘れがちな世の中だからである。

奪い合う世の中より、与え合う世の中の方が豊かなのは明らかだろう。
文化的な成熟度というのはそういう物のことを言うのである。

一度、オリジナルの服を作るので、縫製屋さんに頼んだことがある。
すごく少ない量だったから、ただ迷惑を掛けに行ったのだ。
それでいくらぐらいだと聞いたら、昔だと1500円ぐらいだったけど、いまなら1000円ぐらいだなと話されていた。
正直言って、数も少ないし、知識のない人間にさんざん付き合ってくれて、いくら貰おうと割に合わないに違いない。自分も工場をやっているし、自分の親父がまさしく金にならないことの相手ばかり平気でする人だったから、それがよく分かる。
昔から、仕事がうまくて有名な縫製屋さんだった。いま、縮小されて、個人でやるばかりである。好きだから、やめないという感じである。
だから、僕の遊びに付き合ってくれたに違いない。
素敵な時間と知識をたくさんくれた。
くれたのはそれだけじゃなくて、余っているニットの生地あるからとその縫製用に高い生地まで無料でくれた。
1000円と言われて、ラッキーと思えたら、まるで苦労した両親への否定である。
だから、それなら、昔の相場で払うと言った。
それでもまだ、払い足りなかった気がする。
でも、僕はそういう姿勢は凄く大切だと信じている。

だから注染屋さんの値段を聞いた時僕は、思わずその2倍、いや5倍は払えると呑気なことを言ってしまった。さすがにちょっと言い過ぎたかも知れない。
いくらで売るんだそれ。
僕はいま、怒られそうで、相方に言えないでいる。
無責任にいい顔をしてしまうのは親父の血であるから、僕のせいではない。

相手にちゃんと多く払えよと、こういうことを言うと、私だって大変なんですと怒る人がいる。
自分がやりたいことをはじめようとしているんだろう。
それにいろいろな人を巻き込もうとしているんだろう。
それが嫌なら、100円shopで買い物をしていればいい。
それなら確実に、満足する物、出来上がった物を安く手に入れられるだろう。
自分も儲けなきゃ行けない。それは当たり前である。その先の話をしているのである。

自分の身の心配しかできない人はたいがい消えていく。
誰もそんな人のためには動かないからである。
残っても大した仕事にはならない。大した仕事になっても裏で悪い話がもっと広がるだけである。やはりなにがしかの形で続かなくなる。
ましてや、企画当事者に時々いるが、まるで当事者意識がなく、他人事になる人も多い。
自分が渦の中心であることを忘れたら、渦は回ることさえ出来ない。
今はこの世界は業者数もすごく少なくなっているから、昔のように渡り鳥のように、業者を変えていくには限界がある。
例えば八王子でも、減ったとはいえ、うちと同業者のプリント屋さんはかなりある。
それを渡っていくだけでも、かなり数が稼げそうだが、残念ながら、悪い噂というのは簡単に広がるからそうはいかない。
昔は善人過ぎると、飲み込まれて続けられなかった。いい人は確かにいなくなった。
自分は昔のことは知らない。ただ聞くだけである。
しかし今は、悪い人はやり続けることが出来ない。それは前述の通りである。
そういう意味では、善人であり、戦略家でなければ行けない。
今の時代を、オリジナルのブランドを立ち上げて飯を食べていくというのは、そういう意味では非常に難しい時代であるといっても過言ではない。
ただ、余計な物はない。簡単な物はない。
そういう意味ではただの消費ではない方向に向かういい時代かも知れない。
大変だというのは確かであるが、いつの時代もその時代なりに大変なものだし、
少なからず、今の時代を生きているのだから、過去と未来を語っても生きるのは今である。

先日、夜中に某ブランドから電話が鳴った。こんな時間に電話だなんて、何かおいらまたやっちゃったかな怒られるかなとビクビク思って、電話を取った。
なんてことはない電話だったが、夜だって言うのに騒がしい事務所。話し相手のその奥から、何か陽気に叫ぶ声が聞こえる。
良く聞こえないんで、後ろで何か言ってるの? と、心の中のビクビクを残しながら聞いたら、
「ひろくん、一緒に儲けようっっ!! って言ってます」と言う。
僕は親父のお陰で素敵な人達と仕事が出来ている。

なぜこの仕事を僕が続けているかと言われたら、親や祖父母や、その親や親が続けてきたことを僕がやめてしまったら、それで全部消えてしまうからである。
そこには積み重なったたくさんの想いがある。
子供の頃僕の遊び場だったあの場所。
あの場所は消えてしまうにはあまりに惜しい。
だからこうして続けていられることが、いくつかの代償があろうと、僕にとっては確かな豊かさなのである。

そしてこうして続けることが出来ているのは、掛け替えのない大切なたくさんの先人と仲間のお陰である。

努力という言葉のワナに思うこと:ゆるゆるnotes

先日、ハーバード大学図書館、朝4時の風景というある種のネタが出回っていた。
ハーバードの図書館には20の教訓があるってな話で、
20種のとにかく努力しろという内容である。
ハーバード大学図書館が公式に否定するぐらいだから、よっぽどである。
本文は以下のリンクにある。

http://product-empresario.blogspot.com/2012/01/blog-post.html

だいたいにして、無理をするって言うのはあれは長続きしない。
最高に成果を上げるには、どう日常化するかと、どうそれを本気で楽しむか。ワクワクするか。魅力的にしていくかだ。そのための苦痛と無理なら必要だと思う。楽しむようにするための努力である。
中国のデマらしいが、今の中国の現実の一側面かもしれない。受験生ともなれば誰しも遭遇する焦るべき事態かも知れない。
とにかく焦りを感じる20の教訓である。
養老孟司氏が昔、本の中で触れていたが、論語に「これを楽しむにしかず」と言う言葉がある。
努力しようとすれば辛いことも、
「好きこそ物の上手なれ」でそれを好きな人には敵わない。
そして好きな人をもってしても、それを楽しむ人には及ばない。

つまり、1分1秒を前向きな力でどう使うのか。
その手段を講じるべきである。努力しなければ行けないと言う考え方がすでに後ろ向きなのだ。
努力しようと言う考えだけでは、努力できない自分と戦うだけであり、前に進まない。あるのは努力しない自分に辟易とする自分だけである。
努力しようと言う人ほど、努力しない自分に辟易とする物だ。
なぜなら、努力しなければいけないと思いながら、努力していないからである。
努力していないとわかっているから、努力しようと奮い立たせようとするからだ。
しかし、その考えをいくらぐるぐると回っていても車輪の中を回るハムスターではないんだから解決するわけもない。
真面目な人ほど、その罠にはまり、現実から逃げ出すのだ。

重要な事は努力することではなく、どうそれを行うかである。
行うことが重要だと言うことを忘れてはいけない。
手段と目的は別である。
であるなら、行うためにどういう手段を講じればいいかを考えることである。
つらくてもやらなければ行けないことに遭遇した時、それをどう好きになり、その中から、どう楽しむべきものを見つけるのか。
そしてどう楽しんでいくか。である。

もしあなたがあなたにとって大切なことを、好きで、楽しんでやるようになれば、努力しなければ行けないと思っている人など、あなたに敵うわけもない。
その時間はあなたにとって非常に濃厚な物となり、放っておいても前進するようになるからだ。
これは努力への否定ではない。必要な時はしなければ行けない。
しかし、思うだけでしない努力ほど無駄な物はないと言っているのだ。
逆に言うと、努力というのは歯を食いしばっている時にこそ、奮い起こす物である。何もしていない時に努力しなくてはというのは、何もしない人間の口実である。
朝起きて勉強することが楽しみで仕方ないなら、放っておいても目を覚まし、勉強をはじめる物である。
だから、どんな環境におかれても楽しむ手段を探すべきだ。

それを探していない人というのはどんな仕事においても、大概やる気がない。
やる気も出さず、これは自分に相応しい環境ではないと言い訳をする。
どんなに自分の思惑と違う仕事であっても、楽しみというのは探し出せる物だし、
それが出来ないのであれば、考えが足りない。
考えが足りないのであるから、どんなことをやっても、それを嘆くだけになるし、その程度のことしかできない。
やる気を出し惜しみして手に入れるのは貴重な時間の損失だけである。
やる気のないその時間はあなたが持っている限りある命なのだ。何の節約にもなったりはしない。
せっかく与えられた環境や自分の今をただ無駄遣いするのではもったいない。

思い通りに行かないのが世の中であり、思い通りに行くと信じているのが子供である。どんなに才能がある子供だって、思い通りではない現実の前で、挫折し、前に進む手段を見失い、時に人生を過去の栄光に頼って、あるはずだった才能と共に消えていくのである。その時重要なのは、思い通りにならない実際の中でどうしていくかであろう。
そういった状況でこそ、試されるのだ。
思い通りではないと、チャンスを自ら握りつぶすなんて、自分が知っている世界がどれほどちっぽけか。そして、本当の世界がどれほど広いか。についての考えが足りない。
養老氏なら、思い通りに行くのが人が作った都市で、思い通りに行かないのが自然だという言い方をするかもしれない。
おびただしい、人工物に囲まれた現代人は、いわば脳の中に住む。それを脳化社会だと言った。
自然と付き合うとまったく思い通りにはならない事を身をもって知ることになる。付き合って様子を見て、どうにかこうにかする。それを手入れと言った。自然に触れる価値はそれによって語られる。日本人は確かに自然と生きてきた。だから、自然と共に暮らす人ほど、どんな災害が起きても冷静で前向きだ。そして力強い。

自分は運良く昔はガーデニングが趣味だった上に、今となっては仕事で布作りをしている。
布は生き物だと言われる。言うことを聞いてくれないからである。
だからこそ、彼らは多くのことを自分に語りかけてくれる。
僕も彼らのことを真剣に見つめなければ行けない。
だからなおさら、考えが脳内にしかない人に敏感に違和感を感じてしまう。
ああすれば、こうなると信じている人達である。
そういう人は、書を捨てて町に出るぐらいなら、田んぼにでも行って稲を育てた方がいいかもしれない。
思い通りにはならないことを身をもって知るべきである。
そして思い通りにならないことを思い通りに無理矢理するのは美学ではない。ただの無理である。
無理は長くは続かない。ましてや、相手が自然なら彼らは生き生きとはしてくれないだろう。
思い通りにする以上に、その自然の持つ力を引き出すほうが優れた結果が生まれる。
目の前の自然が変わるのと同じだけ、自分も変わらなければ行けない。
自分が変わらないのに、相手だけ変えようなんて言うのはただの子供のわがままである。
そういう意味ではミントデザインズが布に対峙した時のハッピーミステイクという言葉が象徴するような考え方は合理的であり、
布という物を知っている人間の最善の姿勢である。
自分がすべてを知っているわけではないということをよく知っている。
結果に対して、自分が変わる準備が常に出来ているのである。
優れたデザインを部屋にこもって脳内だけで探し、決定する必要などまったくないのだ。
ましてや、出来上がってもいないのに、頭の中のそれを一番いい物だと考えるのはただの妄想である。
残念ながらそれでいい物を生み出せるほど、人は予言者たり得ない。
観察すべき世界をしっかり外側にも広げなければ、一番大切なものを見逃すことにしかならないだろう。
不必要な物に囚われて主観でしか物事が見えず、力点を外し客観的な広い視野を持てない人は足元に転がる宝をいつも見過ごしながら生きている。

思い通りになるように作られた都市にいると確かにそれを忘れる。
そして思い通りにならない事への文句ばかりが増える。
都市なら文句を言えば良くなるかもしれない。
でも、自然の中では文句を言っても良くはならない。
しかし、忘れがちであるが、自分というのは実は一番身近な自然なのである。

はじめから好きだと思っていることをやるのは、好きになって、楽しむ努力をしない分だけ、幾分か楽だというだけだ。
好きになるのはよっぽどでない限りどうにかなるというのは男性にさんざん追いかけられて、そうでもなかったのに好きになってしまい、結婚して幸せに過ごしている女性なら、よく知っているはずのことでもある。

今、嫌だなあと思いながら、何かに取り込んでいないか?
それがもし大切なことであるなら、
つらい中にあっても、何が好きなのか、ちゃんと楽しむべき所を楽しんで向き合っているのかについて、再度、自分に問い直すべきである。
そして、それが好きで、楽しんでいる人にはまったく勝てないと言うことだけは忘れない方がいい。

そして、もし、立ち止まってしまっているのなら、
過去の自分に勝てなくて悩んでいるのかもしれない。あの日から前に進めなくて悩んでいるのかもしれない。
気づかないうちに、あの日あった楽しさを見失っている。
まるではじめからそれがなかったかのように。
でも、気付きさえすれば、いつだってそれは取り戻すことが出来る。

若い頃僕は騙されて、ただ真面目に努力しなければと思えば、努力できると信じていた。
誰よりもやれると信じた。でも、その考えでは勝負の席にさえ立てないんだ。
いや、自分は努力していると言う人がいるかも知れない。どうしてもやらなければ行けない時、人はやる。つまり、努力しなければ行けない環境に置かれれば確かに人は努力するというのも確かな事実である。環境が目の前でやらなければ行けない状況を作れば、確かに環境に相応しくなるのである。
しかし、やはりそれは楽しむことには敵わない。
だから、苦難の中でこそ楽しむことを見つけるための努力をすべきだろう。
そして、躍動感のあるその生命力を精一杯生かし日々を過ごすべきである。

それはあははと笑いながら、楽して、楽な道を選んで生きろと言うのとはまったく別の話である。
むしろ道が分かれていたら、信念に背を向けずに、苦しい道を選べと言っている。
そして、その道を楽しめと言っている。
真剣に生きるが故に、様々な魅力について注意深くなければ行けないと言うことだ。

足りない考えに惑わされて、貴重な時間を失うには、若い時間はあまりにもとうとすぎる。
楽しさを見つけろ。楽しんで生きろ。楽しんで誰よりもそれを極めろ。
そしたら、誰もあなたには敵わない。
あなたはいま、自分の人生を精一杯楽しむことが出来るたった一度だけのチャンスに恵まれているのだ。
その一度だけのチャンスが、今確かに生きている、この五感に響く、限りある瞬間である。

という、長すぎた反論。

チョコレートのおいしさと染色について思うこと:ゆるゆるnotes

今イタリアで働いている、多摩美卒の中村さんが年末に日本に戻ってきていて、わざわざ昨日奥田染工に顔出してくれた。
何が言いたいかというと
くれたチョコがうまかった。
これはひろ君の気に入りすぎる味だわ。
うみゃい!!
最高じゃ。
さんきゅーーーーーーー。
メモメモ


http://www.guidogobino.it/

チョコには関係ないけれど、いろいろ話した。
楽しい情報交換がとてもたくさん出来た。
おいらも外国行きたい~~。

その中で、
歴史的に見ても、テキスタイル技術の中で日本の染色技術って世界でもまれに見る高さだよなと言う話になった。
外国行ってよりそれを強く感じたらしい。そこんとこ強く言いたいと言っていた。
東南アジアの染めもヨーロッパのそれも洗うと平気で色落ちるとかだもんな。
四季のある日本、梅雨があって湿気が強い日本ではよく服を洗う。
だいたい日本の長い歴史で考えれば立体物より、着物のデザイン、漫画だってそうだけど、平面上の構成が日本人は得意でうまいんだよな。
3Dのアニメーションなら、やっぱりアメリカ人にやらしといた方がうまいと思うし。

つくづく、平面上でその色で見せる、日本の染めの歴史は本当に深い。
ちゃんと発色させるとか、色落ちさせないとか、そういう技術的基盤がしっかりしている、使う材料へのしっかりした知識的基盤もそう。
そこからちゃんと始まっているところがいい。
当たり前に触れている物の価値は確かに先人が築いてきた物だ。

適当に染料ぶっかけるかどうかにしたって、そこから始まっているかどうかは重要だと思うんだ。

逆にそこまでの精度を育てた半面、仕上がりの検査としては、無知な人が関わるほどに神経質過ぎる部分が昔からあって、それが出来上がる物をつまらなくしてきたという歴史がある。無駄な非効率性も沢山産むしね。何が大事かというのは本当に大切な視点だ。
輸入されてくる物には緩いなんつう間抜けな話もあるわけだけど。
柄とか普通にずれているものな。
そういう意味では、緩やかな感覚で、良いか悪いかを見る西欧の良さみたいな物も学ぶべきだと思うんだ。
日本人はその良いか悪いかの視点を、ふわふわとした物ではなくて、他人であってもいいし、マニュアル的な物でも良いから、確実に動かないものにすがろうとしすぎるんだ。
他人や何かのせいにしたいんだな。誰々がいいと言っているからとか、それはルールだからとかね。
それに曖昧で適切な判断に比べれば、極端な結論というのも楽な判断のひとつだしね。楽な分、共有しやすいしさ。
ただ、それは最善からはほど遠いからね。

そういった日本と西欧と、一見相反する、両方の良さや、精度は普通に両立できると思うんだ。
適切な場所に意識を集めて良い物を作ると言うことなのだから。
やっぱり、ハッピーじゃなきゃ行けないよ。

更に話が逸れるけど…
テキスタイルデザインの世界だと、工業的な部分とアート的な部分が確かに存在するんだけど。
技術的な基盤を無視したアートってほんとにアートなのか。
自分が使う道具や素材や材料に不勉強でもアートって言っていいのか。
自分がわからないことや、出来ないことをそのまま放置して、無意識的にでも、知らなくていいことにして物を作るというのは、プロ意識ではない気がして仕方がない。
テキスタイルの世界にいると、作品の善し悪しは別としても、それを強く感じさせられる機会は多い。非常に考えさせられる。
ただ、せっかくこんないい環境にあるなら勉強して損なことはない。
技術的知識に関して言えば、どんな分野にしろ、
何ヶ月も掛けて技術をいちいち1から開発しなくても、誰か先人がどれもこれも、基盤を作っておいてくれている。
時に、それを利用させて貰えるんだ。

その価値や重みさえわかってない人だって本当に沢山いるわけだけど。
そんな人が偉い立場だったりすると本当に嘆かわしいもの。
そこらへんは日常の意識が試されていると思う。
何かへのしっかりした感謝や敬意が足りない時は、自らそれをやってみるのがいい。
必ず身に染みて、その重みが響く。
本当の意味で、知るというのはそう言うことかも知れない。
そして、技術はその価値を知るものに本当の価値を与えるだろう。
そしてそれは、いつだって忘れがちになる。自分だって、それを忘れちゃ行けない。
じゃないと、全部軽くなってしまうではないか。

そして逆に、自分はこういった場所にいるわけだから、もっと自分の足元を揺るがすようなことに触れなければ行けないだろう。
固い地面の上に立って、そこを守りながら人にものを言うなら誰だって出来るんだ。
そしてその、人の盲目さが問題なのだろう。

まあ、自由なんだよ。方法論はたくさんある。
だから、最後は自分の責任で好きにやればいいわけだ。
いいものはたしかにいい。
本当の説得力はそこだわな。

誰かがいいと言っていたからじゃなくてね。
チョコレートを食べて、誰かがいいと言っていたって、まずい物はまずいだろうに。
良いか悪いか、静かに静かに、生きている自分を利用していこうよってさ。

ってことで、確かチョコがうまかったので、もう一回確認してくる。