色が深く染まる魅力について phro-flo

布をプリントする世界において、色は奥深く染まれば染まるほど綺麗だと言われます。

柄染めでは奥まで染めようとするほどに、写真的な精細さを表現するのが難しくなり、逆に写真的な精細さを表現しようとすると、表面的な部分にしか色が入らないという傾向があります。
細かい粒子で染めれば、写真的な印刷になりますが、細かく横に広がらない分、布の奥にも進みにくい。
そうなると、上っ面が染まった布と言うことになる。
感覚的には、染めという響きより、印刷というイメージに近いというか。染められた布と言うより、印刷されたというイメージですね。
それは身につける色面の表現としてどうしても弱さを持ちます。

2013年の柄のひとつ、桔梗の柄は注染という技術で染まっています。
120年続いた注染屋さんの最後の仕事になってしまったと言う話はここで触れました。

注染というのは折り返して、注ぎながら染めるため、裏表がなく染まる技法です。
ただその分、絵際や精度に難点があったりします。
主に手拭いに使われる技法で、後に浴衣へと広がっていきました。
浴衣には、注染で染める粋さと言うのがあります。
やはり、第一義的には、裏表のない染めである綺麗さや色の確かな強さというのがあると思うのです。

インクジェットがこれからより技術的な向上も進み、普及して主流の印刷方法になっていく、その中でそういったデジタル機器から出るような微細な柄が増えるほどに、注染のほっこりとした染めはむしろ価値を持つようになって来ると思うんです。
ましてや、注染の場合、決して同じものが続くわけではない。

去年、初めて自分で注染という技法をお願いして、他にはない独特でそれしかない魅力で染まる技法だなと感じたんですね。
すごく暖かみがあって、優しくて、染めの表現ってこんな風な魅力もあるんだなと実感しました。

そうなると、自分の技術でもある、シルクスクリーンで、その持っている魅力の一端を、どう表現するのか挑戦してみたいと思ったんです。
量産的な思考や、手間を考えたらあまりやる価値はないのかもしれないけれど、自分の範疇であれば、十分試すことが出来る。
たとえそれが仕事にならなくてもいいんです。表現としてやりたかったんです。
そのための浴衣ブランドだったりもして。

3つの柄、撫子、縞撫子、無地名菊。技法をそれぞれ使い分けてシルクスクリーンで表現しています。

特別で新しい技術を使うと言うことではないです。
単純な技術の組み合わせだったりします。
裏表なく染める、ぼかしをなめらかに染める。
どちらも、注染が得意として、シルクスクリーンが不得意としている要素です。
不得意と言うことは、出来るけれど、手間が掛かると言うことです。
ただそこをやってあげると新しい発見があったりもします。
さらに、キチッと柄が出ると言うより、手で型染めで、そういう緩やかなブレの表現も出したいと思いました。
これもやっぱり、自分のブランドだから出来ることです。受けた仕事だったら、怖くて手をなかなか出せません。
毎回どう出るかわからないですし。
捨てられがちな、そういう領域の染めが自分が好きだというのもあります。

2013年の今期のシーズンは、すべての柄が、裏表がない染めになっています。
もしくは裏表があっても、裏もまたそのテクスチャーが美しい。
という表現です。
同じ柄でも、色によって方法を変えていたりします。
たとえば、無地名菊の黒は、わざと、色が抜ききれないように、また色が白く抜けてしまわないような加工をしています。

色が奥まで入れば、色の力が強くなる。
色が強く、そして少し自由に遊んでもらう。

吉祥寺の展示会場では、光が通り抜けて、通り抜ける風に布が揺らいでくれるように、飾りました。
布を光が通り抜けるとき、光は色を運びます。
光が透けると、その色の力の差はより明確になります。

色が染まっているって、いいなと思いました。
花暦という今回のテーマ。
古い物と新しい物が優しく融合してくれるような。

さらに今回の技術で出来ることを前進させてみたいなとも思っています。

色が裏表なく、奥まで入る。その価値や感覚を、是非実感して頂ければと思います。
やっぱり違います。
ああ、染まっている。という感じがするんです。

新宿伊勢丹での販売は7月2日までです。それで夏休みが来ます。
夏だ夏。

僕はもう少しで、仕事を放り投げて、遊びに行きます。

ああそうそう、浴衣を着るってすごく良いですよ。ちょっと上がります。やっぱり日本人だなあ。と思うわけです。
この先も、身につけたときに心からそう感じられる、一着を作っていけることが出来たらいいなと思っています。

ウサギノネドコという場所。

僕がテキスタイルマルシェで赴いた京都で出会った素敵な方々。
その話には番外編があって。
僕らは実は、とても素敵な秘密の場所に出会ったんです。

ホオズキ

鎚絵の大野さんのご紹介でわざわざマルシェに足を運んで頂いたウサギノネドコの店主、吉村さん。

マルシェが終わって、疲れを背負いながら、さんざん呑んで、なぜか男女こもごも合宿気分で朝の4時まで大富豪をしたあげく、数時間後に目を覚まし、めんどくさいけど、来てくれたし、せっかくだし、付き合いだし、寄って帰るかあ。なんて失礼な姿勢で向かった場所がウサギノネドコ。

そんな失礼な姿勢だったにも関わらず、僕もみんなも入った瞬間に目の色を変えました。
心から、来てよかったと思いました。

不思議な木の実に、宇宙に転がる隕石のような不思議な石。時を閉じ込めたロマンチックなキューブ。
なんの用途にもならない物たちが、雑然と並んでいて、見れば見るほどに発見があって、またその木の実がどういう物か、その石がどういう物か、店主の吉村さんが楽しそうに教えてくれるんですね。
子供の頃に夢見たような、ファンタジーの世界の道具屋さん。
きっと用途のない道具の中に、不思議な力を持った道具も混ざっている。
日常の中では感じられない、生命の力が生み出した、不思議な世界。嘘ではない、実在する物が世界中から集められ、並んでいるんです。
子供の頃感じたわくわくする心がどんな物か思い出させてくれました。

ウサギノネドコ

ウサギノネドコ自体はお店兼、宿泊施設になっていて、その空間性の細かい部分まで本当にデザイン的配慮が行き届いていて、無駄なんてひとつもなくて本当に美しい。
ああ、美しいなと感じるんです。
本当にかゆいところまで意識が行き届いている。

ウサギノネドコ2

そのあまりにも感性を刺激してくれる素敵空間の虜にすぐに僕らはなって、たいした広さではないのだけれど、そのあまりの奥深さに、何時間も滞在してしまうことになりました。
子供の頃って、とても狭い世界の中で、その先にある未知の世界に対する、果てしなく深い想像力があったと思うんですね。
こんな場所があってくれて、本当にうれしいという気分になりました。
みんなの夢の中にはあったんだけど、どこにもなかった世界を、そこに作ってくれたと心の底から感動しました。

ウサギノネドコ3

でもこれ、写真では全く伝わらない。
写真を撮ってもなんか駄目なんです。
その場所に行かないと、その良さがまったくわからない。
写真で伝わらないんだっていうことが惜しくもあるけど、
現代のインターネットの手軽に情報を得られる世界において、こういう場所があるってすごい有り難いことだと思うんですね。
やっぱりファンタジーの中の不思議な道具屋さんだから、そしてそれが実在するのだから、自分で発見しに、その素敵さを感じにちょっと頑張って足を運ばなければなと思うんです。

紹介して、混んでしまうのはいやだけれど、でもぜひ、あの感動を感じてもらえたらなと思います。

で、ですね。
そんな吉村さんの初めてだという個展がいま、東京で開催されているんです。
ご本人がこちらにいらっしゃるうちに、足を運べればと思ったのですが、すごく混んでいるらしいと言う噂を聞いて、みなさんとお会いするより、静かになった会場で初見からゆっくり見たいなあという、僕のねじ曲がった性格のため、まだ足を運んでいません。
わがままでごめんなさい。
めっちゃ楽しみにしております。いひひひ。
またみなさんとお会いできる日を楽しみにしつつ。

以下、gallery kissaさんのサイトからの引用です。

自然の造形美展 〜Nature Art Exhibition〜

nae

2013.06.06(thu) – 07.06(sat)

植物をアクリル封入したプロダクトブランド、宙 -sola- による初の作品展「自然の造形美展~Nature Art Exhibition~」を開催いたします。

メイン展示では、仏教の世界で宇宙を構成する五大要素「地水火風空」を、植物で表現します。
3D プリント、CT スキャン、レーザー彫刻などのテクノロジーを使った試みにもご注目ください。

また、本展示のためにつくられた1品ものの Sola Cube を展示•販売の他、鉱物の造形美をテーマにした「旅する小惑星」や、未発表の新ブランドである「UNINOCO」などの自然の造形美をテーマにしたプロダクトを展示いたします。

水•木•金•土   12:00~19:30
日         12:00~17:00
月•火       休廊日

 

会場へのアクセス

所在地:東京都台東区浅草橋3-25-7 NIビル4F 最寄駅:都営浅草線 蔵前駅 徒歩3分

4階ですがエレベーターが無く、階段でお上がり頂きます。ご容赦ください。

電話 : 03-5829-9268 ファックス : 03-5829-9157
info@gallerykissa.jp

gallery kissa
NI Bldg 4F, 3-25-7 Asakusabashi, Taito-ku, Tokyo 111-0053
TEL: 03-5829-9268
Open 12:00- 19:30 Wed – Sat, 12:00- 17:00 Sun, Cloased on Mon Tue

【交通】
江戸通りと蔵前橋通りの交差点(蔵前1丁目交差点)の南西角の裏通りに位置します。
道に迷われた場合は、「江戸通りと蔵前橋通りの交差点」と近くの方に聞いていただければ、案内していただけると思います。
蔵前1丁目交差点南西角なか卯の裏、英会話学校のNOVAがあるビルの4Fです。

  • 都営浅草線 蔵前駅 A3(押上方面)/A1(西馬込方面)出口より200m 徒歩3分
    ※A1出口から出て左、(A3出口からは出てすぐ前の横断歩道を渡り右)、に行くとなか卯の交差点に着きます。
  • JR総武線 浅草橋駅 東口より500m 徒歩7分(東口を出て左に進み蔵前1丁目交差点を目指す)
  • 都営浅草線 浅草橋駅 A4出口より500m 徒歩7分
  • 都営大江戸線 蔵前駅 A5、A6出口より600m 徒歩8分

※タクシーで来られる場合は運転手に「江戸通りと蔵前橋通りの交差点のなか卯」とお伝えください(なか卯の裏の通りにあります)。
※専用駐車場はありませんので、お近くのコインパーキングをご利用ください。

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写真展示 『職人がいる風景』について

展示の入り口に張った文面になります。
今回の展示意図です。
今回のこういった出来事に対して、自分は何をしなければいけないのかについて毎日のように考えています。
それはこれから自分がしなければいけないと感じていたことにも通じます。
たまたまが積み重なって出会った事実は、あまりに運命的でした。
でも僕はまだ、その出来事に対して、何の答えも持つことが出来ていません。
この文面はバタバタしながら書いてしまったけれど、
あとは、会場の写真を見ながら、もっとゆっくり、言葉を捉えて、最後ひとつにまとめられればと考えています。
会場写真は僕が、フォトブックはkatomiさんが選びました。
すべて彼女が撮影してくれた写真になります。
物作りの空気感を感じに、是非遊びに来ていただければと思います。
また、並ぶ写真から、何かを感じ取っていただけたら幸いです。
特に入り口に飾られた写真たちはおすすめです。じいちゃんたちの力で、ちょっと幸せになれます。きっと。

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photo by katomi

  

『職人がいる風景』展示について

 phrofloゆかたが生まれるまでにはたくさんの方が関わっています。
 その風景を伝えることが出来ないだろうかと、撮影を進めるでまずはじめに感じたのは、多くの人が関わっているという実感について、自分が一番気づいていなかったのかもしれないという事実でした。

 今回フォトグラファーのkatomiさんとお話しする中で、もの作りの消えていってしまうだろう風景をプロだからこその技術で、切り取ってもらえないかと頼みました。

 ただ事実を撮るだけで、本当の事実を捉えられる訳ではありません。

 彼女の力があれば、残る機会のない物わずかでも、残すことが出来ると感じました。

 時代に必要とされなくなる仕事と言うのはいつか消えてしまうものなのだと思います。

 もしくは移り変わる時代の中で、決して変わらない大切な核のようなものがあるとともに、職人のいる風景と言うのは絶え間なく変化し留まらない。

 僕は子供の頃から、その風景で育ち、その景色が持っている力について、今もまだ何かを信じています。

 僕はその景色がただ好きでした。

 そしてその景色が当時のものであり、今のものではないことを知っています。景色もそれを感じる自分も、もはや当時のものではありません。

 それでも工場の風景を見回すと、名残があります。

 幼い頃から名残を感じ、その先にあっただろう世界について、空想を広げることが好きでした。

 人に死があるように、すべてのものもまた常に変化し消えていく。

 僕は僕の好きなものについてただ知ってほしいのだと思います。

 僕は人が関わる、その時にしかない熱気景色本当に大好きです。

 人の優しい笑顔も、厳しいまなざしも大好きです。

 あの日、僕が背中を向けて、ぼそぼそとつぶやいたお願いに想いを込めて関わってくれたkatomiさんに心から感謝いたします。

 また、急なお願いだったにも関わらず、撮影に快くご協力いただいた、アルタカ株式会社、大串商店、八王子織物工業組合事業センター、すべてのスタッフの皆様に感謝いたします。

 何より、そういった思いで、たまたま、もしくは導かれるように、今回撮影させていただいた松上染工株式会社。

 いつか消えてしまう景色をそうなる前に残そう、その思いそのままに、撮影にいったその日、僕らのゆかたを染めてくれている。

 それが松上さんのスタッフの皆さんにとって、最後の仕事であったと知ったのは、その後の話でした。

 とても歴史のある工場です。

 僕のこの手元にある浴衣は、とてもとても思いのこもった大切な宝物になりました。

 染めという仕事を、強い意志を持たれて続けられてきた工場だということを、僕は知っています。

 工場で、社長が言われた「いままで誇りを持って、日本人が使うものを、日本人である自分たちの手で作ってきた。

それで構わない。何も残らなくても、それを日々、残してきたんだ」と。

 本日は、貴重な時間にもかかわらず、足を運んで頂きありがとうございました。

 この風景が好きだから、それを少しでも残したかったから、僕は子供の頃から見続けたこの工場の仕事を選びました。

 僕の大好きな風景を、皆様に捧げます。

phro-flo /(株)奥田染工場

   奥田博伸

 
展示概要はこちらです→
 

つなぐ通信

フリーペーパーの創刊号に掲載して頂きました。
成田さんをはじめ、スタッフの皆さん、本当に今回は素敵な機会を頂き、ありがとうございました。
何よりも、素敵な出会いの機会に心より感謝いたします。

創刊号の内容をネット上で見ることもできるようです。
http://tsunagu-t.com/pc/backnumber/2013_spring/index.html#page=19

つなぐ通信に関する、そのほかの詳細はこちらです。
http://tsunagu-t.com/pc/

『そこには今も新しい発見がある』2011年4月1日寄稿文

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 子供の頃から、僕にとってそれは当たり前の風景だった。増築を繰り返した工場の中はひどく入り組んでいて、僕は、その暗闇のどこかに知らない世界への扉があると信じていた。
 至る所から蒸気が噴き出し、その工場を構成する柱の一本一本が好き放題に傾いている。至る所が錆びていて、至る所がひび割れている。誰も入らない部屋があり、埃にまみれたスイッチの用途はもう誰も知らない。
 脱水機は激しく地面ごと引きはがすように回る。あの頃から脱水機はいつか空に飛んでしまいそうだったけど、今も一生懸命、地面に張り付いて、水を弾いている。
 分散染料の独特の臭いが幼い頃の記憶を呼び起こす。僕は友達と工場に忍び込んでは段ボールの山にダイブした。捺染台に伝わる熱気が、癖のある職人さん達の熱気と混じり合う。蒸し器から噴き出される蒸気が、広いトタンの屋根のその先に広がっていく。
 染めた布にみんなでおがくずをかけていく。洗い場では複数の大人達が水遊びに興じている。父は毎年夏休みなると、僕のために洗い場の大きな水槽に魚を放ってくれた。
 1枚の布が染まっていく風景は当たり前の風景だった。それが当たり前ではないと知るのは随分後のことだ。

認可工場

 工場は1932年葛飾区立石より八王子に移転。それ以来、時代と共に様々な仕事に関わってきた。生まれる前は風呂敷をやっていたし、子供の頃はたくさんのネクタイやセーター、高校生の頃はTシャツだった。時代によって必要な仕事も変わる。
 数多くの有名、無名のデザイナーとも付き合ってきた。ただ、企業にとって厳しい側面もあり、繊維業界の衰退やバブルの崩壊の中で、そんなデザイナーたちとも関われないような時期も続いていた。

『ミントデザインズ』

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 ミントデザインズとの出会いは、工場にとってはちょうど変化の時期だったと思う。人を介して物作りをするのではなく、実際に自ら触れて物を作ることにより本当の発見と決定が出来る。
 実際に立ち会ってもらう。それがうちの提示する条件だ。工場には立ち入らせないという従来の考えではなく、非効率であっても的確な相互理解こそ重要だから。
 その頃から父にとっての仕事は、生活をするためではなく、後人に残すべきメッセージを残すためだった。だからこそ、ブランドを立ち上げたばかりの若い人を受け入れては一緒に仕事をするようになっていった。いろいろな工場に連れて歩いてもいた。
 ミントデザインズは職人に心から愛されている。それは彼らが誰よりも職人を大切にしてくれるからだ。彼らの素晴らしいクリエイションの根底には常に仲間を大切にする姿勢がある。
 後年、父はミントデザインズを称して「彼らはファミリーだから」そう嬉しそうに言っていた。去年10月の彼らの毎日ファッション大賞受賞はそんな父にとって最高のはなむけになったはずだ。
 ミントデザインズや多くの仲間との出会いによって僕は今、物作りの魅力そのものに関わることが出来ている。

『matohu』

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 僕が講演だとかで出かけるカバンの中には、実は本業のシルクスクリーンプリントで染めた物がほとんどない。父が昔やったイッセイミヤケのニットの特殊なぼかし染めだとか、変な手描きの染だとかばかり。ただ、それが基礎の知識や柔軟性を持った技術の基盤になっていると思う。
 蓄積されたそういった技術を生かさせてくれたのはmatohuだった。未熟だった僕に数多くのチャンスを与えてくれた。
 2011年が明けてすぐ、10回に及んだコレクション『慶長の美』の展示が行われた。そこに並べられた長着の1枚1枚、そのひとつひとつに確かな想いが蘇る。関わった1枚の布やそのアイデアがランウェイを歩いてくる。ショーの最後を飾る。寒い指先も滴り落ちる汗も、失敗も成功も。

『kawala』

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 去年の夏、僕らは富士山の頂上にいた。kawalaの2人は大きなテントを運んだ。特殊な染めによって、日光に当たると柄が浮き上がる。それを頂上で日の出と共に動画を撮る予定だった。日は出ず、激しい嵐で死ぬ思いをするなんて思っていなかった。そして愚かにも、みんな登る前から疲れすぎていた。
 自分が今、シルクスクリーンを刷ることが出来るようになったのは、彼らのお陰だ。僕はkawalaの生地を何度も何度も失敗した。僕がそう言うと、「いつ失敗したんだっけ」そう返してくれる。僕は色作りを担当していて、刷る職人というのは本来違う。でも、刷らしてくれた。そのお陰で今の自分がある。
 デザイナーである山本さんの過去は壮絶ですごい。そんな彼は花粉症新薬の治験者になって手にした30万円のほとんどを新柄の製版に使ってしまった。飯が食えないよと言いながら。今時、そんな姿勢で物作りをする奴なんていない。そして、それ以来花粉症が悪化したことも間違いない。確かに物作りに命を注いでいる。そんな彼らのデザインに父はまれに見る大絶賛だった。そして、同い年の彼とは悪ふざけの時も真剣な時も意気投合して、物作りに向かえる。お互いの信頼感が生み出せるものは本当に掛け替えがない。

『JUBILEE』

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 シミズダニさんが多摩美術大学の研究室に勤めていた頃、父は彼にいつも世話になっていた。彼は工場に来ると、全てを自分でやる。色を作り、布を張り、自ら刷る。初めはおぼつかなかったけれど、今は随分手際がよい。熱意ある姿勢はどこまでもまっすぐでかなわない。
 そして、彼は誰よりも、職人の神聖な作業の場を汚さない。彼ほど完璧に後片付けをする人を見たことがない。簡単なようでどの作業より大変なことだ。
 「職人さんに頼むのもいいけど、やはり自分でやりたい。捺染台の上で柄が生まれていく瞬間が好きだ」そう言っていたことが印象に残っている。彼のデザインした布は今もそうした姿勢から生まれている。

『cocca』

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 coccaは国内のプリントテキスタイルをメインとして展開する数少ないお店だ。国内デザイナーによる魅力的なオリジナルテキスタイルが並ぶ。だから、その企画ごとに様々なデザイナーとの出会いがある。今まで会ったどの方も本当に魅力的な方ばかりで、そんな出会いの火花の中から新しい1枚の布が生み出されていく。
 柄があって、イメージに沿えるように、絶妙なところで技術を加えて表現していく。coccaとの仕事もやはりどのブランドともひと味違う。何より、現場で立ち会い共に生み出していくこと、あの場所で初めて会い、その場所を喜んでくれる。そしてその中から布が生まれていく。
 プリントの担当は村山さんで、彼女はいつも自動車に乗って千葉からやってくる。朝9時に着くために随分早く家を出ているはずだ。僕が、毎回遠い所運転大変だよね、というと「私、運転が好きなんです」と、笑顔で言う。
 coccaは作り手が販売員も兼ねているから、作った物がその後どうなっていくかがリアルに伝わってくる。心を躍らせながら物作りをすることの大切さをいつも教えてくれる。

『イイダ傘店』

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 春の予感。梅の花が芽吹く頃になると、イイダ傘店から連絡がある。春の手前になれば毎年、イイダ傘店による日傘の展示受注会がある。今年も電話が鳴りイイダ傘店らしい優しく暖かい柄と色が送られてくる。
 飯田さんは父にとっては多摩美術大学の教え子だった。自分でやるのであれば、場所を貸すと父に言われ初めの頃、製版から、プリントまで工場に来てはやっていた。
 今年も、飯田さんは工場に顔を出してくれた。今期はブランド発足当初に世話になった型屋さんに頼むという。型屋さんに行くというので、バスも微妙だし、タクシーが一番近いかもと伝えたら、「昔は歩いて通っていたなあ」と言う。立派になったねえと僕が嫌みを言う。せっかくだしあの時みたいに歩くかなと言うので、それなら、そこに自転車あるから使っていいよ。と言ったら、喜んで自転車に乗って行った。あの時よりも、少し早く型屋さんに着くようになったかもしれない。
 僕は正直、飯田さんがその型屋さんを選んだことに感動した。値段や簡単さや目先の質だけで仕事をする訳じゃない。昔世話になった。でも、それって物作りを誠実にやるためには一番大事なことなんだ。言うことは簡単だけれど、実際やるのはそんな簡単な事じゃない。
 今まさに、展示会の最中で、今頃関西の方だろうか。へたくそが故に、直しすぎた僕のたくさんの色と、プリントの経緯を会場で展示してくれている。

 今も多くの人が工場に顔を出してくれる。ここで取り上げられなかった仲間も多い。
 物作りの感動を共有したい。だからこそ、今は人を介した仕事を極力しない。デザイナーと直接向き合って作る。それだけのことでいいと思っている。

教室風景

小学校の5人

 僕が技術を学ぶきっかけになったのは奥田塾があったからだ。父から染色を学ぶために、先生を始めとして本当に多くの人がそこに集まった。集まった人達で学び、集まった人達で楽しく物を作る。そして自分はそこで本当に多くを学ぶことが出来た。僕にとってはいつでも原点だ。
 父は、学校に教えに行くようなことは断っていたのだけど、背に腹は代えられないと笑いながら多摩美術大学に教えに行くようになり、僕はその後文化服装学院の話を頂いた。小学校や養護学校にボランティアで教えに行ったりもした。先日行われた、文化服装学院二部服装科有志による展示会。あれも、学生達の自主的な努力によって毎年、パワーアップしながら続けられている。担当の子やそのメンバーには毎年いろいろなことで世話になった。今回の展示会には本当に想いがこもっていて本当にありがたかった。
 春になれば恒例のリソースセンター主催の実習会も行われる。
 人に教えると言うことほど、勉強になるものはない。そして、柔軟なアイデアや新鮮な熱意にいつも触れることが出来る。学校嫌いの僕がこれほど学校に助けられるとは思っていなかった。

 職人である古谷さんのファンは多い。もう75才になるのに僕なんかより体力がある。そして誰よりも優しく器用だ。のこぎりと金槌だけで建物を直すし、工場から蒸気や水が漏れ出ても簡単に修理してしまう。僕が子供の頃はいつも職人の輪の中でお昼はどん兵衛ばかり食べて、僕にどん兵衛は体にいいんだと教えてくれた。すっかり今も洗脳されている。今はやめた沼さんはいつも工場に顔を出してくれるし、長田さんや近藤さんも。職人さんはもっともっとたくさんいた。古谷さんは奥田染工場の最後の職人さんだ。僕のせいできっと今も仕事を辞めることが出来ない。

 奥田染工場には古谷さんを筆頭に素敵な人達ばかり集まる。それは昔から変わらない、そういう人の価値が当たり前だと思って僕は育ったけどそんなことはないってことを、知るのは最近になってから。僕は確かに人に恵まれている。

 先代の社長であった父が亡くなったのは去年も終わりかけた頃だった。僕が子供の頃にはすでに、繊維関係の工場は斜陽産業だった。父や母の大変な思いを見て育った。どんな時も両親はいつも誠実だった。今もやめずに続いているのはそこに集まった仲間のお陰としかいいようがない。ほとんどの工場がもうないのに、うちの工場が今ここにあるのはそれ以外に考えられない。
 自分には本当にたくさんの師匠がいる。染料屋さんに型屋さんに。でもみんな、60や70歳を過ぎている。継ぐものはいない。僕はその意志を少しでも継ぎたい。
 子供の頃、夢はと聞かれてなにもないと答えた。家を継ぐなんてこっぱずかしくて言えるわけもない。両親だけではなく、早くに亡くなった祖父や更に先代の想いもある。何より自分は、それによって育てられた。そんな父の背中もあった。父は工場を自分の代でやめるために、ある時から新しく職人を雇わなくなった。継がなくていいと言っていた父は、同時に今の状況を一番喜んでくれているはずだ。父は継ぐと言うことを、早くに亡くした祖父に伝えられなかったことを後悔していた。父が20歳の頃、祖父は50歳で亡くなった。父の下には6人の兄弟と祖母がいた。おそらく、父は祖父のようになろうと生きたはずだ。だからこそあの人には何もなくても、本当に多くの仲間がいる。そしてよく言っていた、「親父が仲間を大切にしてくれたから亡くなった後、自分はみんなに助けられたんだ」と。
 おそらく、今の自分は当時の父以上に多くの人に助けられている。それはあなたがくれた最高の財産だ。
 意識の遠のく父を前にあなたが続けてきたことを無駄にしないからと、ちゃんと繋げていくからと、そう伝えた。

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110216奥田染工 (8)

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    奥田正美
    昭和17年東京生まれ
    東京都立八王子工業高校色染科卒業。
    武蔵大学に進学。
    昭和38年、二代目の父の急死を経て、同大経済原論科在学中から工場の主に。工場では「奥田塾」なるシルクスクリーンプリントや植物染めなどの教室も定期的に開催し、積極的に若い世代との交流を持ち、日本の染色技術の普及に努めた。平成22年11月末、多くの仲間達が見守る中、静かに息を引き取った。
    奥田博伸
    昭和54年生まれ (株)奥田染工場代表取締役
    文化服装学院/文化ファッション大学院大学 非常勤講師
    多摩美術大学/大塚テキスタイルリカレント 特別講師 など
    奥田塾/文化服装学院Ⅱ部実習会

2年前、父が亡くなって半年後に、バタバタとしている中で、
文化学園ファッションリソースセンターの発行するフリーペーパー向けに寄稿した文章です。

このような文章にしたのは父の同級生であった横地さんから頂いた『手紙』(リンク先に掲載しています)が発端です。
横地さんから頂いた手紙は本当に素敵な内容で、自分のこれからにとって本当に大事なものになりました。
(勝手な公開本当に申し訳ありませんでした)
裏でそんなこと言ってたのかこのやろっと思いました。
父にすっかりやられた病院の先生に息子さんに話があるとか。
当時はいろいろな方から経由して大切なメッセージを頂きました。
そんなことも含めた、blog中にある報告云々は向き合うことが出来ず結局放置してしまいました。

初めて外に向けて書いた文章だと思います。
写真はblog向けに一部変更していますが、文章には手を加えていません。
(当時の不勉強さで本当はちょっと変えたい部分もあります…)
プロフィールも当時の物です。
かなり部数を刷ったはずですが、在庫がなくなったようで、ここに転載する許可を頂きました。
当時、こういった機会を頂いたことで、自分の中にはっきりと指針を残すことが出来ました。
短い期間の中で文章の推敲やアドバイスなど的確にしてくださった上田さんを筆頭に、いつも世話になってばかりのスタッフの方々に心より感謝致します。
発行:文化学園ファッションリソースセンター
http://www.bunka.ac.jp/frc/
blog
twitter

 

尾道1

2006
 

いま、尾道の仕事しているんですけども、
実は尾道って言うとですね、1人で旅に出ると結構必ず1人で寄る場所だったりしたわけです。
地図を見ないで小道を上って、丘の頂上を目指して、ベンチに腰掛けて、船の汽笛を見るってのをひとりでやるのが好きなわけです。
寂しくなったら、そこから誰かに電話するわけです。元気?って。

問題はですね。
知り合いが急激に増えたので、その遊びが非常にしづらくなった。ってことでしてね。
1人でラベンダーの香りを探しに行く三部作とか出来なくなったわけでね。
野良猫たちに媚びを売って遊ぶって言うのが出来なくなったわけですね。
見られたら恥ずかしいですものね。
なので、もしそんな気持ち悪い親父を突拍子もなく見つけたら、見なかったことにしてあげて下さい。
大人のやさしさっていうのはそういうものです。

本題からそれました。
実は他からいくら依頼されても、それが名のあるブランドだったとしても、めんどくせえって普通に断っていた技術とかあるんですけど、理由はやる必要ないってなおいらの偉そうな姿勢で。
今回、そっこーでぜひやりましょうとなりました。
やる価値があるなと感じたからです。
立花テキスタイル研究所さんがうちに提示してくれた理念がとっても素敵だったんですよ。
ちかいうちにきっとちゃんとこんな事やこんな事だよーーと言えると思います。
よろしくね。

でね。

『立花テキスタイル研究所@tachitex

今日は奥田染工場さんからお願いしていた生地サンプルが届きました。スッゴくおもしろいテキスタイルになりそう。kaga apronさんとのコラボバッグに使います。2月には受注会があります。お楽しみにー(^_^)ノ

奥田さんはものづくりに関してとってもシビアで真摯です。短い納期の中、サンプル出しを納得がいくまでして下さってます。こういう信頼できる方とお仕事できるのはこの上ない喜びです(/_;)

嬉しい言葉っっっっ。
理解をして貰えると、ちゃんといい仕事になるから、うれしいな。
おほほ。

12月奥田塾「藍のプリント」と忘年会とお墓参り

11月奥田塾は、着色防染。慣れない方も多く、作業段階が複数だったために、終わるのが随分遅い時間になってしまいました。

12月奥田塾は藍染料によるプリントです。随分前に父親が産技研と開発した技術の1つです。
これも技術開放されているはず。

11月に続き、今回も多くの新規の方が参加してくださいました。ここ2ヶ月なんだか、新規の方にすごく参加していただいているのです。
ただ、風邪が流行っている事もあり、当日に4名ぐらいの方が欠席されました。
それでも、たくさんの方が参加してくださり、

トタン屋根に霜が。
今日はまた寒い。

技術的な説明をして、生地を張り、型を選び、糊作りへ。
メニュー通り、藍と薬品を糊の中に混ぜていきます。
そしてプリントへ

今回は色の濃さを4段階にしました。

プリントする空間は、台に熱が入っているからとてもあったか、でも、外は寒い。
故に、レンズ曇る。

藍染めのプリントによる手ぬぐい完成。柿がかっきーん。欲しい。
今回初参加の荒さんのこれ何処かで見た事あると思ったら、去年、まだ親父様が生きている時に、町田の注染工場見学して、森重さんのStudio Stickの手ぬぐい展で見た柄ではないか。橋本先生が買ったやつではないか。世間は狭い。

わるなら、ハイサワ~~って関係ないや。

プリントが済んだら、蒸して水洗い。

蒸し上がると、藍の還元剤の効果でベースの脱色にもなり、

今回はテンポ良く仕上がりました。
すべて天然の藍による色です。
素敵な作品がたくさん。出来上がりをみなさんで見つつ、
しかし、1日で全部仕上げようって言うんだから、毎回毎回大変です。

そしてそのあとは、12月恒例の忘年会です。

塾には来られなかったけど、わざわざ後から合流してくれたメンバーや、父親の古い染色仲間の職人の方々もたくさん足を運んでくださり、スタート。

料理はやはり父親の知り合いの料理長、何度なくお世話になっている樋口さん。
特別のプラスアルファだけではなく、すごく破格の値段にして貰ってしまった…
堅焼きそば食べたいという僕のわがままにも答えてくれ、
とにかくどの料理もびっくり美味しかった。至福過ぎる。料理は愛だ~~。
そんなこんなで素敵な時間を過ごし、みんなとの帰り道。

月、喰われ出す。
参加してくださった皆さん有り難うございました。

 

次の日も実は呑み会、昼間の三時から呑み出す。
今日は呑めるおっさん2人。
春日さんと小松さん。
場所は中野、近いのでついでにお墓参りも。
ついでという、あくまで失礼な姿勢。

お花を買うのかと問うと、2人とも買うという。
いらないだろ花なんかという、駄目な息子。

左は小松さん、右は春日さんのお花。
ぼくが「小松さん、トゲのある花は駄目だぞ」というと、
「おれそういうのよくわかんないんだよね」と小松さん。
「おいらよりたくさん生きてるでしょうに」
「まあでも、奥田先生は真っ赤なバラだと思うんだよね」
という、よくわからない言い訳を聞き、

やばいやばい、時間に間に合わないと、呑み会の場所へ
おいらがその昔出会った中野の酒屋さん「酒道庵之吟」の忘年会。
およそ14種類の日本酒が飲み放題!!
美味しい食事も並ぶ、お得すぎる、素敵すぎる忘年会に、今回は2人を誘ったのだ!!
お墓参りのせいで少し遅れて到着。
お店の中は人でいっぱい。
奥の席へ、おおこれでは、新しい人と仲良くなると言う素敵な機会を失ったではないか。
1本目の乾杯酒「鳳凰美田」

とりあえず呑んだお酒忘れないよう全部写真撮るのだ!!
うまい料理が並ぶ。
連日こんなにうまい物ばかり喰っていていいんだろうかっ。

1数本呑み比べていて、小松さんと僕が一番美味しいと感じたのがこの「佐久の花」

お酒の好みは近いらしい。

3時から6時のまで呑み会、隣のおじさまとも少し会話を交わすものの、ほぼ3人で騒ぎ、
呑み会が終わると、中野の駅まで歩き、コンビニでトイレに駆け込み、
アイスを頬張り、中野駅周辺で2次会の場所を探し、安いお寿司屋さんに入り、お腹いっぱいなのに更に食べる。
僕は、親父の好物でもあり、自分の好物でもやはりある、げそのたれのみを繰り返す頼む。
堅焼きそばがそうである以上に、これは同じ趣味である。
しかし、みんなにゲテモノ呼ばわりされる。うみゃいのに。
しかし、中野の路地や町並みっていいよね。おいら好き。

で、どうする、ボウリングかカラオケか。なかなか簡単に帰れない性分で、
よし中野の銭湯だ!!

ちょうど、クラブワールドカップをやっていた。いけね、忘れていた。

水風呂と熱い風呂、繰り返す、永遠ループにはまる。
気持ちよすぎる。
中野でちょっと古びれたこの感じもいい。
しかもこの渋い2人とこの展開は何ともたまらない。
最高だ。
春日さん、小松さん、いつも有り難う。
本当に最高の時間をいつも有り難う。
しあわせだあーーーーーー。
2人が10歳も先輩なことをそう言えばすっかり忘れており。

そんな2日間でした。

そういえば、ちょうど1ヶ月前、親族でやった一周忌とは別に、奥田塾のメンバーが代表して、一周忌のお墓参りを企画してくださいました。

少人数のつもりが、こんなに集まって頂け、本当にありがたかったです。
みなさんの貴重な時間、心より感謝いたします。
もう1年かあ、早いものですね。

歳をとっていい事は、素敵な仲間に会って行けることですね。
僕のふざけた遊びに付き合ってくれる人が20歳の頃いただろうかと。
あの日の夢が確かに今ここにあって、
たくさんの素敵な仲間がいて、本当に幸せ。
まあほとんど、親父の仲間だけどさ。

そんなこんなで、2011年も暮れ、別ブログでの、奥田染工場“裏”の忘年会へつづく。
みなさん、よいお年を。

世間は狭い、悪さはしちゃ行けない@全国大陶器市

先日、年末の忘年会用のおちょこを探しに八王子でやっていた全国大陶器市に行ってきた。

まさに陶器が欲しい時期でいつ頃やっているのだろうなんて思っているところにちょうど良く広告が入ってきた。

これは行かなきゃならん。

仕事帰り、お目当てのおちょこを探しに隅から隅へ。

深い奴はあっても、お目当ての形状している奴がなかなかない。浅い杯の形している奴がいいのさ。

あとで聞いた話だと売れないから、あまりないようだ。
んでもさあ、冷酒飲むなら断然舌先に当たるそっちだろ~~ってなもんで、

立ち止まったら、早速声を掛けられた。
ん~~まだ悩んでいるところなのに。

「それで呑むとうまいよお」と、おっちゃんが言う。

おっちゃん酒飲むのかと聞くと、「呑めない体になっちゃったのよね」と言う。

3つこれ選ぶんで、おっちゃんの手作りならオススメの一番美味しい奴ひとつ選んでよ。と言ったら、「そりゃおれはよくわからねえな」という。
一番はじめにこれで飲むと美味しいって言ってたのにさ。
なんというか、正直というか。

よくわからないが、何だか仲良くなってしまって、長話をはじめてしまう。
確実にこのおっちゃんは不器用で愛のある人だという、いつもおいらのセンサーが作動。
おいらはいつからか、そういう人が本当に好きなんだ。
今度、広島に来たら、萩をいろいろ案内してやる。泊まるところなければ家も泊めてやる。工房も来いよ。
携帯電話の番号までくれる。

島根ならよく行くと言ったら、俺も島根好きだと言う。
広島にも会いたい人いく人かいるからなんて言ったら、来い来いとなって。

体壊している人が、寝泊まりは車の中だと言う。「漫画喫茶とかいいよねえ」って貧乏学生じゃないんだから。
その設定に値切り市の旗が揺れるのに値切る気を削られた。

けど、何も言わないでもすごく安くしてくれてしまった。
結局、他に漆器は買ったけど、欲しいような陶器はそのおっちゃんのだけだった。

家に帰ると、ちょうどその日、長野のオジサンが僕に日本酒をおいて行ってくれていた。
ナイスタイミング。

買ったおちょこに並べてお酒を注ぎ試飲。
あたり、ありっ。

おっちゃんいい仕事するぜ。


(欠けているのは貰った。後ろの漆器はまた別で福井県のもの。2日分。ちゃんときれいな写真のブログあった。勝手にリンク…金剛窯@大陶器市2010 金剛窯

次の日、午後暇になったので、追加でもうちょい欲しいなとおっちゃんにまた会いに。
んで、仲良くなったおっちゃんと更に無駄にぐだぐだお話ししてきた。
何という商売の邪魔。

めっちゃお互い、個人的なこゆい話になってしまった。
人にはいろいろな人生があるなってなもんで。
なんかいろいろ心が震えた。
おっちゃんも手元が震えたのか、レジを一桁間違えていたけれど。

おっちゃんは金剛窯の金剛稔明さん。

さっきGoogle先生でおっちゃんのことを調べたら、

同じギャラリーのサイトの作家のなかに、照井壮さんがいた。
照井壮さんの奥さんである照井織衣さんは、うちの親父が最後に雇った若い職人、最後の弟子なのだ。
結婚して、九州に行った。
九州で陶芸をやられている照井壮さんのところにお嫁に行ったのだ。

数年前、教室に来ていたうっしーが、若くして亡くなった時、たまたま、ご両親が百貨店で手にとってお返しにしたのが、照井さんの陶器だった。

偶然というのはなんともやらだねなんて話をしていた。

親父が亡くなる前、宮本英治のみやしんのやり手で宮本さんもべた褒めだった女の子が、結婚して九州に行った。
だんなさんはやはり陶器の人で、照井さんのすぐお隣だった。

ぼくはたまたま、おちょこが欲しくて、そして欲しいようなおちょこが唯一あって、強引におっちゃんに呼び止められて仲良くなっちまった。

ということで、世間はとても狭いので悪さはしちゃ行けません。
なんつうことは意外によくあることで。

そうそう、何かプレゼントしようとして(キャラ的に現在サンタモードなので)考えた末、寒いだろうから、ホッカイロ一箱買って持っていったら、メンチカツくれて、ゆで卵まで勧めてくれた上に、追加で買った陶器をアホみたいに安くしてくれて、おまけまでくれた。

「おたくが使ってくれるならいいよ」なんて有難い言葉。

こっちだって、おっちゃんが作ったと思って使ったら美味しく呑めるわってなもんで。

「明日も来いよ」って、何しに行くのだ。

せっかくそう言ってくれたのに、今日、僕は足を運ばなかった。
でも、なんだか、またどこかで会える気がする。

もう、片付けをして、そろそろ八王子を離れる頃だろう。
次は和光に行くと言っていた。
和光に行ってから、広島に戻るらしい。

毎日、販売大変だろうから、どうか体に気をつけて。
そして、また、何処かでお会い出来る日を心から祈りつつ。

本当にいいおっちゃんと会えて、僕はいま嬉しいのだ。
そして、素敵な焼物を有り難う。これでどんな焼物より美味しいお酒が呑める。

あえて、和光市に行くか。
なにしにだ。

「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」

ミントデザインズから頂いたチケットにて、10月17日にあった内覧会に足を運びました。
現在オペラシティで行われていて、下記のようなブランドが参加していて、

ANREALAGE
h.NAOTO
matohu
mina perhonen
mintdesigns
SASQUATCHfabrix.
SOMARTA
THEATRE PRODUCTS
writtenafterwards

まさしく東京ファッションの今が多角的に切り取られ、展示されているのです。
そうして、内覧会と言うこともあり、当日はすべてのデザイナーが揃っていました。
当日はまさしくコレクションの直前のブランドも多くある、そういう時期でした。

いつものメンバーに、宇田川さんと出口さんも引き連れて

そしてmatohuのお二人にも遭遇。

さらにミナペルホネンのブースにて写真の中の大原織物の大原さんにも遭遇。
さらに大好きな神奈川レースの人々にも写真の中で遭遇。
悔しいほど、皆川さんはいい加工屋さんと仕事しているぜ。
大原さんに飾られてますよって話したら、
「やだなあ、こまったなあと」
いつものダンディな感じ。渋い。

やはり今回の展覧会、周りではすごく人気があり、せっかくたくさん分けて頂いた招待券をいい顔して配っていたら、すぐにいい顔が出来なくなりました。大人達はちゃんと自分でお金を払っていくのだっ。
内覧会は非常に大勢の人が来場していたこともあり、また、ゆっくりもう一度見に行こうかなと思っています。
展示内容については、是非自ら足を運んで見ていただければと思います。
ネット上にもうたくさん情報が出回っているようだけどね。

みなさんもぜひ。



http://www.operacity.jp/ag/exh135/

「感じる服 考える服:東京ファッションの現在形」
Feel and Think: A New Era of Tokyo Fashion

期間:2011年10月18日(火)~12月25日(日)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー (アクセス)
http://www.operacity.jp/ag/

休館日:月曜日
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団/文化学園大学 文化ファッション研究機構
協賛:日本生命保険相互会社
協力:相互物産株式会社/アトリエ杉本/株式会社イノウエインダストリィズ/株式会社キイヤ
後援:経済産業省/毎日新聞社/一般社団法人 日本ファッション・ウィーク推進機構
会場構成:中村竜治(株式会社中村竜治建築設計事務所)
企画:服飾文化共同研究拠点「現代日本ファッションデザインの研究」

本展は、文化学園大学(旧文化女子大学)・文化ファッション研究機構、服飾文化共同研究拠点「現代日本ファッションデザインの研究」(メンバー:高木陽子、成実弘至、西谷真理子、堀 元彰)の研究成果の一部として開催するものです。

matohu 「慶長の美」展

たまにはブログも更新しようっ。ということでTwitterのつぶやきをちょっと書き換えまとめました。

現在、matohuがスパイラルで展示会をしています。
http://www.matohu.com/keicho/index.html

matohu 「慶長の美」 展

期間 2011年1月8日(土)〜19日(水)11:00〜20:00
会場 スパイラルガーデン(スパイラル1F)
入場 無料

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