佐野さんの件について思うこと

FACEBOOKにてそれなりの反響があったので、ここに引用します。
またそれも踏まえて自分なりの視点から今回の件をまとめることが出来ればと考えています。
今回の問題は、いろいろな理解不足によって起きている非難だと考えます。
非難の類いを見ていて、一番ミソになるのは、トートバッグの件であり、
トートバッグのコピーのような件がどうして起きるのか。
という、部分を理解されている方が少ないと感じたので、この投稿の一番の目的はその部分でした。
オリンピックのロゴは決してコピーではないと自分は考えます。それについてここでは触れません。専門の方が分析されているのでそれを参考にしてください。

 

佐野さんの一件は、僕らがどれくらい自分の関わらない世界を知らないか。
そして知らないことについてはどれほど残酷になれるかについて考えさせられる。
自分もそれをどこかでやっているのかも知れない。

オリンピックのデザインはどう考えてもパクってないでしょ。

デザインに対していいか悪いかは別の話。ボクは素人なんで、本人がいろいろな意図を持って作ったものだろうとしか思わないです。わからないし。

無責任な人格の否定も別の話。ファンタジーの世界にいる人間ではなく実在するんだから。
はじめから文句言ってるならまだしも、みんなで責めだして、責めやすくなったところをさらに集団で責めるのは、子供のいじめをどうこう言えないわ。

オリンピックのロゴを、トートバッグの件と混同する人がいるけど、
トートバッグの件に関しては、ファッションの世界でも聞く話。
ものすごいタイミングだけども。

それなりのブランドがそれなりのブランドをパクって問題になることがある。
やっすいブランドがパクるのにブランド価値も何もないけど。
ブランド価値を下げる訳に行かないブランドが望んでパクることなんてない。
それでもそういうことが起きる。
部下のせいにっていうけどさ。言ったってその意味がわからないんだから、ちゃんと説明しなければそもそもわからないでしょ。

持ち込まれる素材やデザインを選ぶという立場だったと思うし、
選ぶ側は、持ち込まれたものから選ぶのだろうから、どこかからパクってきたかどうかなんて見抜けない。

パクっておいて、ミスって表現おかしいと言うけど、見抜けなかったミス。社員教育や会社体制のミスなんだよ。
特定の部下の名前出して、こいつのせいだって言っている訳ではなくて、こういう経緯でって言っているだけでしょ。

自分が同じ立場だったら、防げないし、同じように言うと思う。
それしかないし。

ただそれで佐野さんに責任がないかといったら、責任はあるでしょうよ。責任者だから。

あの釈明文はすごく正直に書かかれているものだと感じます。

あともうひとつ、すっごい嫌われる覚悟で言うけども、
一般人はさせておき、デザイナーを肩書きにしている人たちが、こういう状況で、オリンピックのロゴについて、こういう方がいい、ああいう方がいいと言ったり、
プロだとか言うグラフィックデザイナーがすでに誰かがデザインしているものに対して、1時間でやったとか、こんなデザインはとか、よくやれるなと。すごい下品で、こういう人たちとは絶対に仕事したくねえなと思います。

設計されたものに安易に口出すことがそのデザインにどういう結果をもたらすのか、わかっていない奴はプロじゃないでしょ。

全然生み出されるものに向き合ってきていないし、社会の仕組みが持っている歯がゆさや不条理さと戦ってきていない証明だと思う。

あまり賛同は得られないかも知れませんが、僕はボロ工場のおっさんとして、日々物作りと向き合う人たちの中にいて、そう思います

 

この投稿をしたあと、佐野さん個人の問題と言うより、癒着と利権の問題だという意見をひとつではなく頂きました。

そちらが今度の矛先になるのなら、その点についてはっきりする必要があるかと思います。
利権と癒着について、いったい佐野さんにどんな利権や癒着があるのでしょうか。
ちょっと稚拙な陰謀論にも思えるし、僕が知らない世界があるのかも知れません。

佐野さんに200億円の利益があるというデマの源は、尾木ママでした。
それについて、尾木ママは素直にその過ちを認めています。
と、同時に佐野さんが受け取る物は賞金の100万のみだとはっきり書かれています。
http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12064403309.html

賞金の100万円て、そんな高いものですかね。それよりもオリンピックのロゴをデザイン出来ると言うことの価値のためにデザイナーは皆、コンペにデザインを送ったのではないでしょうか。
その利権とはどんな利権でしょうか。

そうなると電通の闇だと書いている人がいました。
いや、佐野さん元博報堂だし、となると、博報堂の利権になるみたいです。
乱暴すぎます。

コンペの人間関係が利権となると、この記事ですね。
http://www.akb48matomemory.com/archives/1037002524.html

それについて、FACEBOOKで 柳本浩市さんの投稿文がわかりやすいかと思うので、勝手ながら引用致します。
https://www.facebook.com/koichi.yanagimoto.5/posts/1176134102412461?pnref=story


佐野氏のサントリーの件については無許可使用を本人も認めた事だし、これはこれで断罪されなければならない。ただ、先日のニュース番組で、元ネタと 作品を見せて「似てると思いませんか?」と一般の人に尋ねているのを見て、誘導尋問も甚だしいと思った。メディアであるならば、もっと一般の人に著作権そ のものの仕組みや、どういうものは引用可能でどれは違法かなどをちゃんと説明するべきだ。クソミソ一緒に報道し多くの誤解を招いている。パクリだと主張し ている人の多くがアイコンにネット画像や芸能人なんかの写真を無断使用していたりして、お前が言うな状態。そもそも日本をそれほど貶めたいのだろうか?

そんな炎上ネタのひとつとして今朝飛び込んで来たのがこれ。
こういう構図だけを見て利権にまみれているという人がどれだけいるんだろう?そういう人はリテラシーが無いと言わざるを得ない。陰謀論を間受けする人と何ら変わりない。

コンペに出したか出さなかったかは定かではないけれども、今回のエンブレムコンペにエントリー資格のある人はだいたい知っている。ほとんどの人が仕事での 付き合いは無いけれども、飲みに行ったりプライベートな付き合いのある人ばかりだ。だからこそ真実の人間関係は見えてくる。

そのコンペ資格者・審査員の全体像や個人的な繋がりで見る限り、博報堂を辞めた人間が、博報堂に対しそれほど利権や恩義を持つだろうか?現にサノケンさん は電通のアカウントであるサントリーやトヨタなんかの仕事をしていて、別に博報堂に依存していない。審査委員長の永井氏は日本デザインセンター、細谷氏は ライトパブリシティ、しかも資格がある人間で博報堂出身も別にいない訳では無い。しかもここで取り上げられた構図に当てはまっている審査員は全体の1/3 程度だ。その他の人間関係については何も言及されていない。

売れっ子デザイナーが大企業に起用される事は当り前で、複数でプロジェクトが動く際、1つのプロジェクトに同じような売れっ子メンツが集まるのは必然的な話だ。
むしろどこも同じクリエイターを起用するという問題は企業側が自社やプロジェクトの親和性でなく、知名度でクリエイターを選んでいる事かもしれない。

兄が官僚と言うが、かなり上の人でも個人的な見解では利権でコントロールしている人は見た事が無い。出来てたら相当のヤリ手だし、そんなだったらもっと重要なポストについていてもおかしくない。森さんくらいだったらやりかねないけど。

業界組織図を厳密に描くとしたら、この人とこの人はかなり仲がいいとか、悪いとか構図が全然違うし、仲がいいのだったら、どこの学校、どこの会社出身というよりも、その仲がいい人を審査で推してもおかしくない。

デザインという業界自体が小さいので、どこかで関係者にぶつかってしまうという事は否めないが、むしろ芸能界のように、利権だけで売れるか売れないかが決まってしまう方は誰も指摘しない。

コンペの審査員などを僕も何度かやった事はあるが、議論で意見を衝突させるし、毎回みんな真剣に選定している。オリンピックだったら尚更のはず、最終選考で声の大きい審査員に票が引っ張られる事はあるかもしれないけど、そこにも説得力が伴わなければ単に票は動かない。

さらに長くなりますがもっと、詳しく説明しているのが、
『博報堂が五輪関係で持っているとされる「利権」とやらが一体なんなのか実情を書いておくか』
http://blog.goo.ne.jp/konotawake/e/4489bd61c1aaa1dd31befaa5dc9bff03

そもそも、100万円の賞金のコンペに利権ってなんなんですかね。
よくわからないです。コメントもらってそれがはてなでした。誰か説明して。嫌みではなく。確信をもってそう言ったのだろうから。
今回、安保の時と違って右向きの人も左向きの人も叩いていて、身近な人たちだけがどうにか理解を示しているという状況で。
身近な人たちがフォローするんで、またそれが叩かれる訳ですが。
みんなで利権を守るためになんですかね。
周りの人がと言うことは、状況を理解している人とそうでない人の見解の相違と考える方が素直な気がします。

デザインという物について、FBの投稿でも触れましたが、こんなデザインはというのが出回って、扇のデザインなどこの方がいいじゃんとかありますが、あれいいですよね。
でもね、すっごい雑な言い方をすれば、ただ民衆に媚びたデザインなんですよ。
ここら辺になるともうよりはてなが並んでいくのではないかと。
媚びて何が悪いのかと。皆が喜べばそれでいいじゃんって。
それなら、社会におけるデザインって何だってことになるんですよ。
デザインをしている人間達が悩むのは、理解されるデザインと価値があるからこそ、簡単には理解してもらえないデザインの行き来について何だと。本当に価値がある物ってね。大衆が価値があると簡単に感じる物なのかという問題です。理解していってもらうものの方が大半なのではないかと。

これね、似たようなデザインより、常に新しいデザインをって言って佐野さんのデザインを責めている人とすごく矛盾するんですよ。
扇のデザインでいいならね。新しくないですよ。佐野さんのデザインより全然。
人はね。見慣れた物をいいと理解できるんです。
音楽でも、映画でもそうです。新しい分野の音楽が生まれた時、彼らは評価されたか。後に評価されて歴史に残る人というのは、美術の分野だけではなく科学の世界だって一緒です。
その道の一流の専門職というのはそもそもそういう職業ではなかったのかと。
そして、デザインの社会における役目とは何かであると同時に、デザインの機能とは何かなんですよ。
このロゴいいでしょじゃたいした物ではないんです。
これは長くなるので、この引用をして終わりにします。

FACEBOOKである方が、

『東京オリンピック「扇子なだけにセンスがいいね!」なエンブレムが現れる』
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/21/tokyo-olympic-emblem-sensu_n_8019218.html

について、
「素敵なエンブレムだと。
茂木さんが言うように偉い方が密室で決めるのではなく、応募したい人が応募して、国民投票であれがいいこれがいいとみんなでわいわい言いながら楽しく決めればよかったのかも知れない。
以下省略」
と言うようなことを書かれていて、

大野さんという技術者の方が、そこにコメントを寄せていましたので、
勝手に引用します。ごめんね大野さん。

いや、ここでこんなもの書くところが全然「これから」を意識してなくて、浅はかすぎて嫌です。貶めるつもりはなく、と、書いてるけど、てめえで書いた時点で 見下しているわけで。「みんなで決める」多数決は僕はとても危険だと思います。目先に流されわかりやすいものに流されるのが「多くの民」なわけで、デモで 世の中がひっくりかえらないのもその「多くの民」が変わらないことに原因があるわけでね、「より良いもの」は「みんなで決める」ではなくて、「誰かが先導 する」じゃなくては、イノベーションも起こらないわけだから。

ただ、このエンブレムいいじゃんと言う、この方の意見が間違っているかと言ったら、そんなことはなくてですね。
普段どんな仕事をされているかの違いだと思うんですよ。
一般の意識がどう受け止めるかについてこうなるわけですが、
それ以上に、みんなでわいわいという、この視点はある側面ですごく正しい訳です。

再度、 柳本浩市さんのFBの投稿を引用します。

76年のモントリオール・オリンピックでIOCは破綻した。72年ミュンヘン大会のパレスチナゲリラのオリンピック村占拠→イスラエル選手殺害、オイルショックによる物価高と度重なる宗教・民族闘争による不参加が重なったのが要因だった。

この年84年の招致があったが、LAしか手を挙げなかった。それまでのオリンピックは国の税金を投入してやっていたこともあり、国の負担や政治介入を防ぐために、IOCはアメリカの旅行会社を経営するピーター・ユベロスをヘッドハンティングした。

ユベロスは84年のLA大会でエンターテイメント性を高くし、税金以外に放映権、オフィシャルスポンサー権を推進し、代理店に多くの運営を任せるように なった。競技場は32年のLA大会で使ったものをリノベし、極力コストをかけず、聖火ランナーまで参加料を取るという徹底ぶりで、歴史的な黒字になった。 これ以降LAモデルをベースにオリンピックは運営されている。

僕は次にIOCの破綻が来るとしたら、このLAモデルの効力が無くなる時だと思っている。五輪エンブレムなどを商業化によって利権でガチガチにしてしまった故の民衆との温度差による不信任だ。現に20年のオリンピック騒動は根底にこれが流れていると感じている。

オリンピックがこれだけ騒動になっている要因の根底には、やはり国民の信任を得ていないことがある。

まず、オリンピック自体が限られた既得権者のためのものに見えていて、国民には何のメリットも無いのではと思われている点。
もう一つは、クリエイターがオリンピックおよび利権者そのものをクライアントとしており、その先に国民が居る事を無視している点。(B2B2CのはずがB2Bになっている)謝罪会見を見ても、会見側の一方的な論理になっている。
これはオリンピックに限らず、クリエイターの不理解度が世に晒された1つの歴史的ポイントになるかもしれない。

要は国民が置いてけぼりになっている事だ。そのストレスの捌け口としてオリンピックは炎上ネタとして利用されている。
もちろん、あること無いこと一緒にしてイジメのように攻撃するのはいかがなものかと思うが、現象には必ず理由がある。そこを知る必要はあるだろう。

そこで、64年はどうだったかを振り返ると、高度成長期ではあったが、まだまだ途上状態で、充当な予算が組めなかった。その資金不足を補うために、国民か らカンパを募った。募金付き切手などを始め、メーカーや地銀、商店街に至るまで、五輪エンブレム付きの商品やノベルティを制作し、収益の一部を寄付した。

オープンとかシェアとか言われている現代は利権でガチガチなのに50年前の方がよっぽどオープンやシェアに溢れていた。だからこそ、オリンピックは国民の 中で身近な存在になり自分事になっていったのだろう。今足りないのは国民に自分事になってもらう事だ。リンクしたおでんのPOP。これこそが国民の自分事 なのだと思う。これをパクリというのは知財権関係の人ばかりで、民衆は逆に盛上がっている。パクリとパロディの差は心情の共有ができるかどうかなのだ。

今一度、組織委員会はオリンピックによって国民にどのようなメリットがあるかをはっきりと示した方がいいと思う。信任を増やす事こそ今求められている事で、これをやらない限り、オリンピックに関わるすべての物事は炎上し続けるだろう。

あとなんでこんなに集中砲火を浴びているのかなんですけど、
佐野さんを無闇にいじめることにどんな陰謀があるかなんですよ。
彼らの理論に照らせばそうなるんです。
こんなに強大になったエネルギーには陰謀がある。
ロゴに関しては上記の通りだし、

ここからは推測です。
佐野さんの非難をしている人達もそうですが、推測で物を書くと大概ろくなことがありません。

陰謀論の駄目なところは、根拠もなくどこかにすごい力があって何ですけど、(暗闇を怖がる子供と一緒です)
どうしてそうなるか、そうするか、どんなに複雑そうに見えることも、個人の行動ってすごく単純な物だと思うんですよ。
暗闇の先に想像もつかない闇なんてないんです。明かりを付けたら、ありきたりの物があるだけなんです。

先日、売り込みの電話があって、すっごい粗雑な話し方で、相手が怒鳴りだしたんですよ。
売り込むのに、僕に切れている訳です。
何の用件ですか? って聞いているだけなのに。
これ、僕、何が目的なのかわからなくて、どういうことだって思いましたよ。斬新な電話だって。そんな怒鳴っちゃってどんなメリットがあるんだって。
調べたら、逆ギレ系勧誘電話ってやつらしく、相手に恐怖を与えることで売るという手法があるらしいです。
結局は難しい目的ではなく、売ることが目的なんですよ。実際それで買ってしまう人が随分といるらしいです。

今回、佐野さんを非難するサイトの特徴なんですけど、ものすごく情報を都合よく切り取って、物語を再構築している訳です。
で、それを見た人が怒っている。こんな悪い奴だから他にもとさらに喜ぶ。やっぱり悪い奴だと喜ぶ。
SNSの上はそれで大盛り上がりなわけです。
じゃあ誰が得で、極悪人としての佐野さんを作り上げる必要があるのか。
いろいろ不思議で考えたんですけど、もしそれが単純なものならなんですけど
そういう情報発信がアクセスを稼ぐのにすごくいいと言うことなのではないかと。
だって、極悪人作った方が面白いし、平らな情報にしたら今ひとつ面白みに欠けるじゃないですか。
1次ソースまでちゃんと確認して見ている人なんてまれですから。情報のさらに上っ面だけがどうしたって力を持ちやすいんです。
嘘じゃない程度に切り取っていけばいいわけです。
東京オリンピックのロゴ作った人なわけで、すごくいいネタですよ。
だとすると、その情報源って悪意がありますよね。だとすると、悪意のある情報に踊らされる環境に僕らはあると言うことです。
それが、2チャンネルのようなところでデリカシーもなく騒がれるだけならまあいつものことなんですけど、何の価値もないのが価値のある場所ですから。それが日の光の下にまで、ネットの世界も随分変わってきたなあと。すごく個人に直結するものになってきたんだなと。

メディアに関しては、その盛り上がりを放置出来なくなった。
でさ、報道の人なんて、一般人と同じだってことを今回のことで彼らは見事に露呈した訳です。
専門分野ですし、仕方ないんですけど。

と言うのが僕の妄想です。

佐野さんのデザインあれからパクったこれからパクったってやってますけど、ぜひ。
同じだけ、同じ方法論で、佐野さんのデザインをパクっている人たちを並べて欲しいです。
あれだけシンプルで似通った物がなかったらおかしいですよ。
世界をどれだけの広さだと思っているんですか。どれだけの人口がいると思っているんですか。
ベルギーから訴えられている件ですが、
僕はどうしても、槇原敬之さんと松本零士さんの一件を思い出さずにはいられません。
トートバッグについてはすごいタイミングだなと思います。
こんなコピーする人が他もやらないなんて思えないって感情的には思うタイミングなんですよ。
そういう状況なわけです。コピーかもから、コピーしてたあ!!って展開なわけですから。
佐野さんは自分のミスにしろ、すさまじい状況に立たされているんです。
僕がもし同じ状況に立たされたら、運命の神を呪うことぐらいしか出来ないと思います。
一度ぜひ、佐野さんの立場に立って、佐野さんが言っていることをもし本当だったらと想定してみて欲しいです。
言っていることが、本当か嘘か見極めるためには、嘘だったらと同じくらい、本当だったらと言う検討も大事ですから。
理解して貰うってすごく難しいです。
ドラマでそんな状況を見て、悲しく感じさせられたことが僕は何度もあります。
人は、そういう思いをどこかで皆してきて、その状況を本来は知っていると言うことです。
ただ、多くの場合、わからない物に対して、第三者というのはいま浮き上がる感情につけられる理屈を探すだけになってしまうものなのかと。
そして不満がある。その不満の本質がそもそも何かというのはひどく重要です。

 

プロならきっと不条理にだって向き合わなくては行けません。
社会に向けて何かを発信するということにはきっとそういう側面がある。
デザインがデザインとしてより真摯な物であれば、それはなおのことかもしれない。
そして今後、このロゴがどんな方向になろうと、それは世間が選んだ選択です。
プロであるなら、どんな状況になっても、前向きに未来を見据えるべきです。
それが本質的にデザインの価値になりえるはずです。

最後に、感情は価値です。
集中砲火の一番ひどい時に勇気を持って発言された
植原 亮輔さんのFACEBOOKの引用を、もって終わりにします。

本人がパクりじゃないって言ってるんだからパクりじゃないだろうし、ましてや「人を疑う」ということのほうが大きな罪だと思う。(時々起こる不思議な現象であるが、)人を奈落の底に落とそうとする大衆の大きなうねりの中に入り、その歯車の一部になってはいけない。
佐野くんを批判する大衆の皆さん、
想像してください。崖から落ちそうになっている人間に手を差し伸べるではなく、ひとりずつ笑いながら指で押して崖から落とすようなことをしているのです。
面白がってパクりだと言い始めたネットユーザーの「悪魔の囁き」に助長することは決してやってはいけない。
佐野くんの人生を何だと思ってる?
彼の素晴らしい人柄、彼の行ってきた多くの素晴らしい仕事を台無しにする権利は、あなたたちにあるんですか?
ホントは佐野くんと会って話をしてもらいたい。
みんな笑い、幸せな気持ちになる、彼はそんな人間なんです。
トートバックのことでミスはあったかもしれない。
それは長年やってきた仕事の、ごく僅かなこと。それ以外の多くのデザインの仕事で、彼は社会に貢献し、幸せを振りまいてきたんです。
基本的にはデザインは企業から依頼を受けて作り上げていくことがほとんど。だから、我々デザイナーは見えないところで支える仕事をしています。良い仕事をしても、自分が手掛けたことを知られないで終わってしまうことが多いのです。
今、佐野くんは彼がやってきた数多くの素晴らしい仕事を無視され、僅かなミス(人命にかかわらない)をネタに大衆のストレス解消のステージに乗せられています。
みんなで彼を助けてあげませんか?
そして、ひとの悪口を言うくらいなら、自分のやるべき仕事をしましょう。

仕事終わりに今、この文章を書いています。
今回はどうしても黙っていられません。
悲しむべきじゃない人が理不尽に悲しむ世界を想像することがすごく嫌いです。
取り返しのつかないことになって、後悔することが嫌いです。
無名な自分が何かをできるとは思いません。
ただね、僕はね、今の自分の仕事を愛しています。
未来に生まれていくものが本当に素敵なものになっていってほしい。
それが僕が仕事に向き合いながら思う。
ただ一つの願いです。
だから、それがそうでなくなっていくような風潮は絶対に許せないんです。
ものづくりをする人たちはね。
才能ある人たちはね。社会の中に、人と人の間に、人と世界の間に、どこかの誰かがより幸せな世界を手に入れていくそのための、ただ美しいものを生み出したいだけなんですよ。
ただそれだけのはずなんです。
佐野さんのロゴにはきっと、佐野さん自身がグラフィックデザイナーとして仕事してきたその思い以上にね。東京オリンピックの中で生まれる多くの笑顔について、その時代の東京についての思いがたくさん詰まっていると思いますよ。僕はそう信じます。
それを踏まえたうえで、佐野さんのことをひどく言えばいいと思いますよ。

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