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ある友人の本に、なくなっていくから、守りたいと書いてあった。
何を言っているんだ。
おまえが作っている量は、守れる量じゃない。
ビジネスはうまくいっているが、技術者を儲けさせるような構造にはならない少量生産を核としているじゃないか。
そのビジネスモデルはそれを言えるような構造じゃない。

勘違い甚だしい、やらせて貰っているんだ。
守るどころの沙汰じゃない。
それぞれの工場に大きな仕事があって、それがあるから、その工場は維持されている。
その維持されている隙間に入れて貰っているだけの話なんだ。
うちの仕事だってその程度のものだ。大きく動いている隙間を生かさせていただいているに過ぎない。
お陰様で物作りが出来ているんだよ。君によって守られているからじゃない。
本当に守る気があるなら、そのビジネスモデルじゃ嘘だってまず気付け。
本当に思うなら、行動に移せ。
お偉い先生になりたくなければだ。

と、今度こそ、本人にちゃんと言おうと思う。
って言いながら、じゃあよろしくと、お願いしたいことがあるのでちょうどいいや。

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八王子の外に意識が向いたのは、みやしんの廃業とテキスタイルマルシェという場との出会いが大きかったと思う。
みやしんさんがなくなる時、なくなるのかあーーと思った。
半年後にテキスタイルマルシェに参加させて貰った時、こんなに魅力的に物作りをしている人がいるのかあ。なんて希望なのだ。なんてワクワクするのだ。と、思った。
自分はものすごく世間知らずだった。今さらの話だけれども。

はじめは、何で誰ももっとわかりやすく日本全国にどんな工場があるのかまとめないのだ。
綺麗な情報にしないのだと思った。
聞いたら、どれもやろうとしてうまくいかなかったと聞いた。
どうしてそうならないかは今は何となくわかる。

そんな思いから、いろいろな場所に足を運びたくなった。
はじめは本当に仲間内からだった。
興味は、自分のいる東京近辺の高齢化してしまった身近な世界から広がって、日本のテキスタイル産地についてへと広がっていた。

産地ごとに存在していたものが、だんだん廃業や倒産が増えて、虫穴ばかりになった。
布を生み出すのは、あらゆる段階が存在する。一社だけでまかなうようになっているのはまだ少ない。
虫穴が増えれば、産地外に頼むしかない。
これからの産地はその地域から、日本全国になる。
ならざる終えない。
それほどに、おそらく淘汰されるだろう。
と、聞いた。

日本の産地は10年後には全部なくなると、3年前に言われた。
じゃああと7年か。
身の回りでやめていく会社、年齢も高く仕事が続けられなくなる人、年々、そこにあった景色がなくなるリアリティがたんたんと進んでいる。たぶんそれは布の世界だけの話ではない。
日本という場において、その人しかすでに携わっていない高齢の技術者というのは多い。
すべて守ろうなんて、きっとそれは空論になって、何も生まない。
文化や生活のスタイルが変わるのであれば、ある部分でなくなっていくことは仕方ないこと。ただ、ある部分で仕方なくはないこともあるかもしれない。
大切なことは仕方なくないと思うことがあるとするなら、積極的にそう思う自らが関わるしかないだろうということだ。
たぶんそれは仕事だとするならその人にとって、とても価値のある仕事になってくれるだろう。
守るというのはその程度の小さな世界の話である。
そして守るから、生み出すに。僕らは前に進んでいるのだから。
大きな工場も、個人に近い小さな工場も、文化の積み重ねによってある最新鋭の工場も、古いままで非効率な小さな工場も、誰かに必要とされて確かにそこに存在している。

僕は若造で生意気だから、一番はじめは、もし産地がなくなってしまうとしたら、それを守れる方法はないのか。何か出来ないか。
全国を知りたいという思いはそこからだった。もっと魅力的な日本の物作りは発信出来るはずだと。
先輩たちが引退していく光景に対しての思いが一番だったかもしれない。
でも足を運んで知ったのは、はっきりと自分なんかより素晴らしい、敵わない人たちが、目をキラキラさせながら僕なんかよりもっと本気で今の世の中に向き合っている現実だった。
何かが出来ればなんて、なんて偉そうな考え方だったろう。
未熟者にありがちなあれだ。知らないというのはそういうことだ。

工場見学というのは相手の手を止める。
迷惑な話だ。とってもじゃないけれど気軽には行けない。
それでも、丁寧に対応してくださる方がたくさんいる。

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いろいろな産地や工場の魅力に触れて一番に感じたことは、工場を回る最大の価値は、
どんな物との出会いでもなく、その場にいる人との出会いだった。
この人と出会えた。この人と出会えてよかったという思いだった。
回るたびにそんな素敵だと思える人たちが増えていく。
僕らはそこにある素敵な人が仕事に向き合っていることを知る。
そんな場所からはじめられる物作りの魅力がある。
ましてや、この人の作るものは素晴らしいのだと僕らは言うことが出来る。

どんな機械があって、どんなコストだから頼もうという判断は非常に表面的だ。
同じ機械が並ぶ工場があったとしても、その工場に関わる人たちの顔が心が形になる。
だから、仕上がる物はそれぞれの顔をはっきりと持つ。
機械が作るのではない。
人が、作るために必要な道具を並べて作っている。
そんなことさえ知らないプロも多い。
この世の人の使う物のすべてに必ず人が関わっていることに自覚的になることはきっと僕らを幸せにする。

この人と作りたい、もしそう思えることがあるとしたら、それほどにエネルギーを込められる方法はないかもしれない。
物作りはコミュニケーションから始まる。
お互いがお互いを知るためには時間が掛かる。
お互いの方法を生み出していくことだって時間が掛かる。
ただ、消費しあうその場限りの関係よりも、育っていく関係こそが希望に思う。
その1歩1歩に確かな価値がある。
人が関わることで、僕らは関わらなかったらたどり着けなかった場所へ行けるはずなのだ。

出会いがなければ生まれてこなかったものは数知れない。
何かが、誰かが欠けたらそうはならなかった。そういう人の繋がりが、出会いがこの今を生み出している。

自分もそろそろ何かをはじめる準備をしよう。
いつまでも勉強していたって、行動しなければ意味もないのだから。
それに今は、たくさんの協力してくれる素敵な仲間がいるのだから。たぶん。

あっ、写真は、去年訪れた尾道水道の朝と夜だよ。

 

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