アーカイブ ‘ 2012年 9月19日

みやしんの廃業について思うこと 『いいものを作ることと儲かることはそもそも違う』について:ゆるゆるnotes

昨日の繊研新聞にみやしん廃業について載っていた。
http://instagram.com/p/Pth5lAjPat/ (リンク借りました)

太田さんもブログにて取り上げている。
太田伸之の「売場に学ぼう」|Vol.629 みやしん廃業に思う
http://plaza.rakuten.co.jp/tribeca512/diary/201209180000/?scid=we_blg_tw01

みやしんの廃業について僕が思うことが何かと言えば
メイドインジャパンだ、いい物作りをしろと言うが、
いいものをつくれば儲かるというのは、少なからず嘘だということについてだ。

こんなこと言っていいのか分からないけれど、
宮本英治はその活躍とは違い、八王子の機屋さんと呼ばれる人が良い車を乗りまわしているのと違って、非常に生活は地味だった。昔からそうだ。
みやしんは八王子でもずば抜けていい仕事をしてきたし、時代の空気に取り残されない姿勢で物作りを行っていた。
みやしんが生み出してきた布を見たことがあればその事実に触れているはずだ。
その柔軟なアイデアから生まれたアーカイブは明らかに圧倒的だ。
そう言うクオリティの仕事が出来る工場は日本全国を探したってほんの一握りに限られている。
だからこそ、小さな会社に過ぎない、この規模の工場なんて日々なくなって言っているにも関わらず、
それはある種のショックを秘めているのだ。

僕は小さい頃から、父親によくみやしんに連れて行って貰ったし、宮本さんもよくうちの工場に顔を出してくれていた。
とにかく自分がその姿勢から学ぶことは多かった。
多くが時代に取り残されて行ったのが実際の中、常にいま社会に必要な物作りの姿勢を貫いていたと思う。
それでも、常に、生き残るために厳しい環境の中で戦っていた。
日本のテキスタイル界全体に残してきた功績はとにかく大きい。
その時代のよい物作りがなんなのかを読み取る力、その仕事の質、それが今回の廃業によって貶められることはない。
太田さんはみやしんの廃業はメードインジャパン衰退の象徴だというけれど、
僕にとっては一時代の終わりを感じずにはいられない。

今回のことに対して、ニーズがないからだ、結局いい仕事をしていなかったからだというゆるめなアパレル勤務の方のつぶやきを見かけたが本当に馬鹿げていると思う。
事情が、そんな単純で簡単な事なら、誰も苦労しない。
むしろ、そういう世間知らずの上から目線の人が問題なんだという話なんだ。
というかむしろ、八王子の機屋の99%はなくなっているに等しい。その中で、必要とされ続けてきたことの意味がどういうことか分かっていない。
そもそも廃業であって、倒産ではないということも言っておく。
継ぐために入っていた息子くんもめっちゃ才能のある男だった。

いい物づくりが儲かるということに繋がる訳ではない。
いや、むしろ儲からない。
儲けたいなら、安く手に入れて高く売ればいい。
儲けたければ、工賃数百円のために何倍の手間を掛けることはない。
儲けとは別に、いい物づくりは社会にとって必ず必要な物だと、そうでなければ行けないと言う、物作りを誠実に行うからこそ、見えていた世界があると思う。
時代の劇的な変化の中で、みやしんという会社は布作りに奉仕し続けてきたのだ。
繊研新聞には、長い付き合いのアパレルメーカーの若い担当者からの唐突な連絡「1メートル当たり2000円もする宮本さんの生地は使えませんから」が廃業を決意するきっかけだったと書かれているけれど、そんな失礼な言葉なんてこの仕事をやっていると本当に良くあることだ。おそらくその言葉はいままでのことに対するきっかけに過ぎないと思う。
そんな扱いなら、誠実に物作りに取り組んできた以上、この場を立ち去るという判断以外ありえない。
その事実はとても重い。
その若い担当者1人の問題だと思うなら大きな勘違いだ。もしそれがきっかけに過ぎず、今までがあったなら、そう言うことではないだろう。
物作りに携わる人間として、大切にしなければならないことがある。
それでなければ、物を作るセンスがないに等しいと思う。

もう僕らはみやしんが生み出す布を手にすることが二度と出来ない。
そういうクリエショーンを守ることが出来なかった。
そしてそれはいまも至る所で続いている。
それはその価値を知っていた人、それを惜しいと思う人、それぞれの罪なんだと思う。
本人が罪なことなんてあるもんか、いままでずっと戦い続けてきたんだ。
自分たちが真摯に育ててきたものを手放すことに、涙を流さない人間がいる訳がないだろう。

いいものづくりをすれば儲かるは絶対に嘘である。
それだけは言っておかなければいけない。
いまそれがどうなのかは知らない。
しかしいままではずっとそうだった。
ただそれでも、いい物作りをすることの恩恵を受けている人がいったい誰かと言うことだ。

昨日あげられたブログに南さんが書かれているが、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120914/236812/?P=2
売れるかどうかの絶対的な力は安さに依存する。

昔、とても良い仕事をする縫製屋さんと話していて、当時の僕には意味の分からなかったことがある。
いい仕事をしようとしたところはみんな潰れた。
いま生き残っているのは、たいがい当時、安く多くの仕事をしていたところだ。
実際あの地域にそれが多く残っているのはそういうことだと。

ある時代、周りのプリント屋さんで儲けていたところはどこか。
一番儲かったのはとにかく質より、安く早くを追求した工場だ。
他より少し安く、後はスピード重視で1日何百反と仕上げる。
それが一番儲かった。
職人気質でバカ正直にとにかく綺麗に仕事をしようが、お金儲けという意味では正解ではなかった。

宮本さんが珍しく顔を出してくれて、話した。
まあ珍しいなと思ったら、やめるって話だった。そのためにわざわざ顔を出してくれた。
その中でぼそっと、あの頃素直にネクタイのプリントやっていれば儲かったのに、いろいろ関わらせたから親父には損させたよな。という話だった。
某有名ブランドの仕事だとかなんとかさんざんやったけど、その手の仕事はとにかく赤字だったと親からさんざん聞いている。
10年前でさえ高くてめんどくさい仕事より、1枚100円のTシャツのプリントをたくさんやった方が儲かった。(今はもうTシャツの仕事なんて厳しいけど)
さらにずっと昔のその当時も同じ。別に物作りについて日本のトップのいくつかのブランドをやったからって儲からない。むしろ逆なんだ。大変なんだから。
ただ、その時変なことばかりやったから、父親には多方面で特殊なことに対する知識が育ったはずだ。
何かひとつではなくて、いろいろなことを論理的に知っていて活用できる。
それが特殊なことだと、いろいろな人と関わる中でよく分かった。
大概の工場は自分のやること以外を知らないことが多い。
父親もまた、物作りに対して愚直な人だった。物作りを純粋に楽しむ人だった。だから彼は誰よりも、特殊で柔軟な知識を持っていた。その代わり、お金儲けはとってもへたくそな人だったけど。
ただ、それがいまの自分にとって役立っていることは間違いない。
お金儲けなら、不正解だけれど、よい物を生み出すという意味ではそれは正解だ。
だから、自分はいまも続けることが出来ている。
そもそも続けていること自体、お金儲けという意味では不正解だ。
それが目的なら、もう僕もすぐにこの仕事はやめる。やめた方が儲かる。
でも、僕が育ったこの世界、物作りに対して、誠実にいたいと思うなら、それはやはり不正解だ。

そもそも、お金が儲かる仕事だけしてればいいなんて考えは、食い荒らす考えに似ていると思う。
森に砂漠を作るなんて簡単なことなんだ。とにかく食い荒らせばいいんだもの。

僕が子供の頃から知っている風景がまたひとつ減ることを悲しく思う。
積み上げてきた技術がそれで終わってしまう。
物作りに携わる人間にとってこれほどに悲しいことはない。
子供の頃、親に待たされ続けて、みやしんのサンプル置き場の窓から見ていた景色をいまも忘れない。

まるで戦場で次々に兵士が死んでいく様だ。
いま、周りの工場が次々にやめていく。
僕がいまこうして仕事をしているのはきっと少しだけ運がよいだけにすぎない。
もともとはこのあたりでは一番大きかったプリント工場で、一度潰れた後、うちに入っていた工場も実はいままさにやめる。
その方にも僕は沢山のことを教えて貰った。
貴重な先輩達が教えてくれた貴重な知恵によって、僕のいまのすべてがある。
技術も思想も全て、先人が示してくれた物だ。

その話より、ずっと前に宮本さんは、どこも義理も人情もないところばかりになったと嘆いていた。
僕は今、それが仕事になろうがなんだろうが、意地でも、義理も人情もない人とは絶対に仕事をしないと決めている。
運良くそれが言える状況に僕はある。本当にこれは運だ。
父親はずっとそうしてきたし、ミントしかり、彼がこの工場に残したのは、義理や人情に本当に厚い人達だ。僕は今確かに恵まれた環境にいる。本当に自分は何もしていないのに明らかに守られている。
感謝を忘れないでいたい。
人と人との関係の中で物を生み出していけるこの環境を。
心のない人となんか、何も作りたくないもん。
間違いで溢れているからこそ、愚かさで溢れているからこそ、これが物作りの正解だって、示すために。その一片として、何かに関われたら幸せだと思う。その幸せのためにやっている。
それに相応しい自分を育てなくてはいけない。

親父が死ぬとき、不覚にも僕は約束してしまった。
あなたがいままでやってきたことは絶対に無駄にはしないと。
続けるって、約束してしまった。

別れ際、最近顔出してくれないと、怒ったら、
宮本さんは、これ済んだら暇になるから、いつでもお茶飲みに来れると笑った。
今から楽しみに、急須にお茶っぱをいつもより多めに入れておこうと思う。
父親にとって宮本さんは大切な大切な盟友だった。
宮本さんもちょうど定年ってなもんだ。
きっと何も無駄にはならない。
これ以上バカみたいに苦労して、老けちまうんじゃもったいない。
というか、暇にはなるとは思えない。明らかに、必要としている人がたくさんいるもの。
きっとだから、何も終わっていない。

経済としては衰退していくかも知れない。
まだまだ廃業は続くと思う。
でも、少なからず僕は、その中で、だからこそ、僕の身の回りの物作りを前進するために続けている。
何も、絶対に無駄にしたくない。
僕の尊敬する先人達がそうであった様に、大志を見失わない生き方に憧れる。ずっとまだまだだけど。
後退じゃない、前進だよ。

必要だと思ってくれる人がいる限りは続けていく。
でも、きっと僕も、もう必要ないとなったら、やめるんだろうなとも思う。
そりゃそうだ。

ただはっきりしていることは、みやしんのクリエーションは唯一無二で今後も誰にも真似は出来ないだろうなという、事実についてだ。


return top