先日、ハーバード大学図書館、朝4時の風景というある種のネタが出回っていた。
ハーバードの図書館には20の教訓があるってな話で、
20種のとにかく努力しろという内容である。
ハーバード大学図書館が公式に否定するぐらいだから、よっぽどである。
本文は以下のリンクにある。

http://product-empresario.blogspot.com/2012/01/blog-post.html

だいたいにして、無理をするって言うのはあれは長続きしない。
最高に成果を上げるには、どう日常化するかと、どうそれを本気で楽しむか。ワクワクするか。魅力的にしていくかだ。そのための苦痛と無理なら必要だと思う。楽しむようにするための努力である。
中国のデマらしいが、今の中国の現実の一側面かもしれない。受験生ともなれば誰しも遭遇する焦るべき事態かも知れない。
とにかく焦りを感じる20の教訓である。
養老孟司氏が昔、本の中で触れていたが、論語に「これを楽しむにしかず」と言う言葉がある。
努力しようとすれば辛いことも、
「好きこそ物の上手なれ」でそれを好きな人には敵わない。
そして好きな人をもってしても、それを楽しむ人には及ばない。

つまり、1分1秒を前向きな力でどう使うのか。
その手段を講じるべきである。努力しなければ行けないと言う考え方がすでに後ろ向きなのだ。
努力しようと言う考えだけでは、努力できない自分と戦うだけであり、前に進まない。あるのは努力しない自分に辟易とする自分だけである。
努力しようと言う人ほど、努力しない自分に辟易とする物だ。
なぜなら、努力しなければいけないと思いながら、努力していないからである。
努力していないとわかっているから、努力しようと奮い立たせようとするからだ。
しかし、その考えをいくらぐるぐると回っていても車輪の中を回るハムスターではないんだから解決するわけもない。
真面目な人ほど、その罠にはまり、現実から逃げ出すのだ。

重要な事は努力することではなく、どうそれを行うかである。
行うことが重要だと言うことを忘れてはいけない。
手段と目的は別である。
であるなら、行うためにどういう手段を講じればいいかを考えることである。
つらくてもやらなければ行けないことに遭遇した時、それをどう好きになり、その中から、どう楽しむべきものを見つけるのか。
そしてどう楽しんでいくか。である。

もしあなたがあなたにとって大切なことを、好きで、楽しんでやるようになれば、努力しなければ行けないと思っている人など、あなたに敵うわけもない。
その時間はあなたにとって非常に濃厚な物となり、放っておいても前進するようになるからだ。
これは努力への否定ではない。必要な時はしなければ行けない。
しかし、思うだけでしない努力ほど無駄な物はないと言っているのだ。
逆に言うと、努力というのは歯を食いしばっている時にこそ、奮い起こす物である。何もしていない時に努力しなくてはというのは、何もしない人間の口実である。
朝起きて勉強することが楽しみで仕方ないなら、放っておいても目を覚まし、勉強をはじめる物である。
だから、どんな環境におかれても楽しむ手段を探すべきだ。

それを探していない人というのはどんな仕事においても、大概やる気がない。
やる気も出さず、これは自分に相応しい環境ではないと言い訳をする。
どんなに自分の思惑と違う仕事であっても、楽しみというのは探し出せる物だし、
それが出来ないのであれば、考えが足りない。
考えが足りないのであるから、どんなことをやっても、それを嘆くだけになるし、その程度のことしかできない。
やる気を出し惜しみして手に入れるのは貴重な時間の損失だけである。
やる気のないその時間はあなたが持っている限りある命なのだ。何の節約にもなったりはしない。
せっかく与えられた環境や自分の今をただ無駄遣いするのではもったいない。

思い通りに行かないのが世の中であり、思い通りに行くと信じているのが子供である。どんなに才能がある子供だって、思い通りではない現実の前で、挫折し、前に進む手段を見失い、時に人生を過去の栄光に頼って、あるはずだった才能と共に消えていくのである。その時重要なのは、思い通りにならない実際の中でどうしていくかであろう。
そういった状況でこそ、試されるのだ。
思い通りではないと、チャンスを自ら握りつぶすなんて、自分が知っている世界がどれほどちっぽけか。そして、本当の世界がどれほど広いか。についての考えが足りない。
養老氏なら、思い通りに行くのが人が作った都市で、思い通りに行かないのが自然だという言い方をするかもしれない。
おびただしい、人工物に囲まれた現代人は、いわば脳の中に住む。それを脳化社会だと言った。
自然と付き合うとまったく思い通りにはならない事を身をもって知ることになる。付き合って様子を見て、どうにかこうにかする。それを手入れと言った。自然に触れる価値はそれによって語られる。日本人は確かに自然と生きてきた。だから、自然と共に暮らす人ほど、どんな災害が起きても冷静で前向きだ。そして力強い。

自分は運良く昔はガーデニングが趣味だった上に、今となっては仕事で布作りをしている。
布は生き物だと言われる。言うことを聞いてくれないからである。
だからこそ、彼らは多くのことを自分に語りかけてくれる。
僕も彼らのことを真剣に見つめなければ行けない。
だからなおさら、考えが脳内にしかない人に敏感に違和感を感じてしまう。
ああすれば、こうなると信じている人達である。
そういう人は、書を捨てて町に出るぐらいなら、田んぼにでも行って稲を育てた方がいいかもしれない。
思い通りにはならないことを身をもって知るべきである。
そして思い通りにならないことを思い通りに無理矢理するのは美学ではない。ただの無理である。
無理は長くは続かない。ましてや、相手が自然なら彼らは生き生きとはしてくれないだろう。
思い通りにする以上に、その自然の持つ力を引き出すほうが優れた結果が生まれる。
目の前の自然が変わるのと同じだけ、自分も変わらなければ行けない。
自分が変わらないのに、相手だけ変えようなんて言うのはただの子供のわがままである。
そういう意味ではミントデザインズが布に対峙した時のハッピーミステイクという言葉が象徴するような考え方は合理的であり、
布という物を知っている人間の最善の姿勢である。
自分がすべてを知っているわけではないということをよく知っている。
結果に対して、自分が変わる準備が常に出来ているのである。
優れたデザインを部屋にこもって脳内だけで探し、決定する必要などまったくないのだ。
ましてや、出来上がってもいないのに、頭の中のそれを一番いい物だと考えるのはただの妄想である。
残念ながらそれでいい物を生み出せるほど、人は予言者たり得ない。
観察すべき世界をしっかり外側にも広げなければ、一番大切なものを見逃すことにしかならないだろう。
不必要な物に囚われて主観でしか物事が見えず、力点を外し客観的な広い視野を持てない人は足元に転がる宝をいつも見過ごしながら生きている。

思い通りになるように作られた都市にいると確かにそれを忘れる。
そして思い通りにならない事への文句ばかりが増える。
都市なら文句を言えば良くなるかもしれない。
でも、自然の中では文句を言っても良くはならない。
しかし、忘れがちであるが、自分というのは実は一番身近な自然なのである。

はじめから好きだと思っていることをやるのは、好きになって、楽しむ努力をしない分だけ、幾分か楽だというだけだ。
好きになるのはよっぽどでない限りどうにかなるというのは男性にさんざん追いかけられて、そうでもなかったのに好きになってしまい、結婚して幸せに過ごしている女性なら、よく知っているはずのことでもある。

今、嫌だなあと思いながら、何かに取り込んでいないか?
それがもし大切なことであるなら、
つらい中にあっても、何が好きなのか、ちゃんと楽しむべき所を楽しんで向き合っているのかについて、再度、自分に問い直すべきである。
そして、それが好きで、楽しんでいる人にはまったく勝てないと言うことだけは忘れない方がいい。

そして、もし、立ち止まってしまっているのなら、
過去の自分に勝てなくて悩んでいるのかもしれない。あの日から前に進めなくて悩んでいるのかもしれない。
気づかないうちに、あの日あった楽しさを見失っている。
まるではじめからそれがなかったかのように。
でも、気付きさえすれば、いつだってそれは取り戻すことが出来る。

若い頃僕は騙されて、ただ真面目に努力しなければと思えば、努力できると信じていた。
誰よりもやれると信じた。でも、その考えでは勝負の席にさえ立てないんだ。
いや、自分は努力していると言う人がいるかも知れない。どうしてもやらなければ行けない時、人はやる。つまり、努力しなければ行けない環境に置かれれば確かに人は努力するというのも確かな事実である。環境が目の前でやらなければ行けない状況を作れば、確かに環境に相応しくなるのである。
しかし、やはりそれは楽しむことには敵わない。
だから、苦難の中でこそ楽しむことを見つけるための努力をすべきだろう。
そして、躍動感のあるその生命力を精一杯生かし日々を過ごすべきである。

それはあははと笑いながら、楽して、楽な道を選んで生きろと言うのとはまったく別の話である。
むしろ道が分かれていたら、信念に背を向けずに、苦しい道を選べと言っている。
そして、その道を楽しめと言っている。
真剣に生きるが故に、様々な魅力について注意深くなければ行けないと言うことだ。

足りない考えに惑わされて、貴重な時間を失うには、若い時間はあまりにもとうとすぎる。
楽しさを見つけろ。楽しんで生きろ。楽しんで誰よりもそれを極めろ。
そしたら、誰もあなたには敵わない。
あなたはいま、自分の人生を精一杯楽しむことが出来るたった一度だけのチャンスに恵まれているのだ。
その一度だけのチャンスが、今確かに生きている、この五感に響く、限りある瞬間である。

という、長すぎた反論。

 

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