成人を迎える頃、僕の願いは透明になりたいだった。
透明人間とかではなくて、透き通るような心の自分を願っていた。
あの頃の僕は、自分の中にある汚い物がすべて嫌だった。

先日、僕の目の前にとても素直な人がいて、ああ何だか透明感があって素敵だなと思った。
素直だと言うことは、自分自身に透明感をもたらす最良の手段なんだと思った。
透き通るって言うのはああいうことなんだな。

もし他人に対しても、自分に対しても、素直だったら、曇りガラスを透してみていた世界が、透明なガラスを透した世界に変わる気がする。
そしていずれ、透明なガラスは境界を失い、晴れ渡る空と同じ、隔たりのない、ただの空気にきっと変わる。

心が光りをもし放つのであれば、屈折もせず、跳ね返されもせず、ただそれは優しく広がって、優しく世界を照らす気がする。
暗闇さえも認め、きっと光りが優しく包む。

その世界は、きっととても温かい。
その世界に、幼い頃に覚えたある種の懐かしさを感じるのは気のせいだろうか。

素直な自分をちゃんと知っているのか。
素直ではない自分をちゃんと知っているのか。
あんなに素直で透明で、きらきらなんか光れない僕は
まずそこからなのだと思う。
 

 

2 thoughts on “素直

  1. 水島 より:

    こんにちは。いつも文章を楽しんでおります。

    奥田さんの投稿を拝読して、
    瀬戸内海に浮かぶ、直島という多くの素敵なアートに囲まれた小島のことを思いました。

    その直島の作品群の中に、光を使うアメリカ人アーティスト、ジェームズ・タレルによる「南寺」という体験型の作品があります。

    わたしには、心が素直に訴えかけられて、浄化作用でもあるかのような体験が得られました。
    何度行っても、そのときの心の状態によって違うので面白いです。

    あのぅ…決して怪しい宗教の勧誘ではないですよ。

    ただ、そんな場所が西にあるということをお伝えしたくてコメントいたしました。
    失礼いたします。

  2. hiro より:

    水島さまコメント有り難うございます。
    直島、行こう行こうと思って、まだ一度も行けていないのです。
    いつかのためにこのコメント、忘れないようにしたいと思います。
    有り難うございます!!

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